たられば書店 (仮称) 開業日誌

大阪・守口市に「まちの本屋」(たられば書店[仮称])を開こうとする試み

すべからく、こと、山本大介と申します。
大阪府・守口市近辺で本屋を開業しようと思っています。(今のところ)屋号は「たられば書店」。
日頃忘れてしまいがち/あきらめてしまいがちなこと、「もし、…し『たら』/きっと、…す『れば』」を叶えられそうな場所をつくりたいと思っています。

普段は4才の男の子の父親であり、現役「主夫」です。

いま、どんな本屋が求められているのか? ぼくはどんな本屋がしたいのか?
書店業にはほぼ就いたことのない、ずぶの素人ですが、そんなぼくが考え、実行する記録です。
※2014年12月以降、ずいぶん更新停止していましたが、再開しました。(2016.2.25~)

にちじょうごともちらほら書いています。にちじょうと本(屋)は地続きだと信じているので。



泣き寝入り

 昨夜(ゆうべ)、眠る前に、以前から読みかけていた今村夏子『こちらあみ子 (ちくま文庫)』読了。
 この本の表題作「こちらあみ子」に書かれている愛のかたちで思い出したのは、なぜか安達哲さくらの唄(上) (講談社漫画文庫)さくらの唄(下) (講談社漫画文庫)』だった。ことば選び、文体がすばらしい。表題作以外の『ピクニック』も良かった。この皮肉力みたいなものは、金井美恵子にも通じるのではないかと思えたぐらい。でも、こちらは簡潔な文体。でも、どちらも、そこにある愛は強い。そして、収録の3作は、小説の力、表現の力を感じた作品。こういう作品を読むと、ぼくも何か作品を書いてみたくなる。ぼくが「したい」のは、ほんとうは、本屋ではなく、何かを書くことなのではないか? そう思わされてしまう。何かを書くことを諦め、(少しでも本に関わっている仕事である)本屋になりたいと思い、それも諦め、2年前までサラリーマンをやっていたのではないか、なんて。

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 朝、目覚ましが鳴る前に起床。7時少し前。
 そのまま支度して、バナナ1本だけ食べて、8時すぎ、きのう、息子が入院したM病院へ。きょうは、朝9時から、息子の扁桃腺・アデノイド切除(+鼓膜チューブ入れ)の手術の日。
 病室に行くと、すでに絶食を命じられている息子には酷だと、どうやら妻が機転を効かし、同室で朝食を食べている女の子を避け、プレイルームで息子は遊んでいた。昨夜(ゆうべ)は、20時から寝かしつけだしたが、結局寝たのは、21時半すぎだったということ。落ち着かず、絵本をいくら読んでも眠らず(息子にとっては初めての入院、病室での就寝だから当然なのだけど)、妻はかなりイライラしたらしい。
 9時前、手術着に着替えさそうとするも、嫌がって、妻に抱かれて看護師さんとともに手術室控え室へ。控え室でも、妻と離れることを嫌がりつつ、看護師さんに抱かれて、手術室へ。抱かれて手術室へ消える息子の表情は小さくて読み取れなかったが、泣き声だけが聞こえ、切なく。

 手術室向かいの待合室で、待つこと2時間。その間、ぼくは、妻と話したりしながらも、『ケトルVOL.18』(特集「旅に出たら本屋に行くのが大好き!~旅先で必ずよるべき本屋/北海道から九州まで」)と、内沼晋太郎『本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)』を読んでいた。
 『ケトル Vol.18 2014年4月発売号 [雑誌]』は、『本屋図鑑』のカラー雑誌版という点で、それほど目新しい部分はなかったけれど、浜松の「BOOKS & PRINTS」や、松本の「たつのこ書店」、そして、福井の「空中BOOKS」の様子が見られたのが良かった。でも、何も事を起こせていないぼくとしては「まぶしい」としか思えなかった。今にしてもう純粋に本屋を楽しめなくなっているじぶんがバカみたいだと思う。
 『本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)』は、まだ180ページぐらいあるうちの、半分ほどしか読んでいないけれど(それに、息子の手術がいつ終わるかわからなかったので、少し落ち着かないまま読んだけれど)、すでに『HAB 新潟』や『[asin:B00LWC7KEO:title]』(「街の本屋の逆襲」 http://bit.ly/1p16poA)で、聞いた(読んだ)話とも重なっていて、ただ、この本では、「街の書店」というよりは、出版や流通も含めた「『本全体』の未来」が描かれており、扱う対象は広い。けれど、書き留めておこうと思ったのは、以下、内沼さんが、「本はこれからどうなるのか」「本の未来にどんな可能性があるのか」と整理した切り口である、以下の10点については、参考になると思った。

1 本の定義を拡張して考える
2 読者の都合を優先して考える
3 本をハードウェアとソフトウェアとに分けて考える
4 本の最適なインターフェイスについて考える
5 本の単位について考える
6 本とインターネットの接続について考える
7 本の国境について考える
8 プロダクトとしての本とデータとしての本を分けて考える
9 本のある空間について考える
10 本の公共性について考える(P.70)

 とくに、1の「本の定義(の拡張)」については、きちんと製本された紙の本だけではなく、電子書籍をその範疇に入れるのはもちろんのこと、紙の本も電子書籍も、

 現在、印刷所への最終的な入稿データは、文字組みされた「.pdf」「.indd」などのデータですが、その前の原稿のデータやテープ起こしのデータは、「.doc」や「.txt」だったりします。元が録音したインタビューなどである場合、「.mp3」や「.wma」といった音声データが、元がトークイベントなどであり映像に撮っている場合、「.mp4」や「.avi」や「.mov」といった映像データが存在します。これらのファイルはパソコンのひとつのフォルダの中に、並列にまとめて入れておくことができるわけですが、そのときこの会話は、「.mp4」が「.pdf」になる過程のどこで「本になった」のでしょうか。少なくとも「.pdf」はそのまま多くの電子書籍リーダーに入れることができますから、それを見せたら、多くの人が本だと言うでしょう。しかし実際に話されている中身はすべて一緒で、違うのはファイル形式と編集の度合いだけです。(P.73)

といった捉え方をしている点がとても刺激的だった。要は、拡張子の違いだけで、すべて「並列に」「本」だと。そして、もちろん、文字になるものだけではなくて、「カレーも本だ」とも述べていて、これを読んでいて思い出したのは、『[asin:B00LWC7KEO:title]』で、北書店の佐藤さんが、

(前略)本屋のいいところは、どんなものと関わっても違和感のない空間にできるところ。八百屋さんでトークイベントをやりますって言っても、「なんで八百屋さんで?」ってなるじゃない。でも、「本屋で八百屋さんに関するトークイベントをします」って言っても違和感ないんだよね。

と言っていたこと。つまり、情報というか、物とか「あるもの」すべて「本」と関わらせることができるのだと。
 まだ『本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)』は半分しか読んでいないけれど、内沼さんの言うところの本の未来の可能性というのは、こういうことなのかもしれないと思った。

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

 11時すぎに、息子の手術終了。看護師さんに抱かれ、大人のMサイズの手術着に包まれ、手術室から控え室に戻ってきた息子は、妻の顔を見て、安心したかのように泣いた。執刀医で主治医のA医師から、手術が成功だったことを聞き、ひと安心。そして、切除した扁桃腺とアデノイドを見せてもらう。息子は泣き続けて、またそのまま妻に抱かれて病室に戻って、点滴。予想していたよりも元気だった。まだ筋肉弛緩の麻酔が効いているので、17時まで水分を摂ることも禁止されていたのだが、「お水、飲みたいー!」と足をバタバタさせ、ぺしぺしと妻の体を叩きながら駄々をこねる様子は、手術前とさほど変わらない(ただ、人工呼吸機を口の中に入れられていたせいで舌が腫れていたのと、おそらく、切除したままの扁桃腺の傷口が痛いのとで、声がいつもより高く、舌足らずだったが)にちじょうの光景だった。
 しばらくずっと駄々をこねていたが、それにも疲れてスヤスヤ寝てしまう。13時すぎに義父と義母が兵庫・太子町から見舞いにやって来てくれて、手術の経緯などを報告。すると、14時頃目が覚めた息子は、また「お水、飲ーみーたーいー!」と駄々をこねはじめ、看護師さんに相談すると、やはり水やお茶などはだめで、水で湿らせたガーゼを口の周りに施すぐらいならOKとの指示が出て試みるも、余計に息子の飲みたい欲を刺激してしまったようで、逆効果。泣くは大声で叫ぶはの大騒ぎ。同室の女の子が息子が寝ている間に退院して、同室には誰もいないのがほんとうに良かった。大騒ぎする孫を見て、祖母が「まさに『泣き寝入り』するしかないな、これは」と言ったのが、おもしろかった。
 15時すぎ、泣き疲れた息子はまた眠ってしまったので、義父と義母に様子を見てもらうことにして、ぼくと妻は病院の地下の食堂へ。妻はオムライス。ぼくは、ミックスフライ定食を食べた。思えば、ふたりきりで食事をするなんて、どれくらいぶりだろうと思った。去年の5月(土曜日に、息子を保育所に預けて、演劇を観に行った)以来かもしれない。
 その後、いったん病室に戻って4人でドリップコーヒー(賞味期限切れ)を飲む。すると、看護師さんが病室に来て「先生から、看護師立ち会いのもとなら、水を飲んでもOKという指示が出たので、今度目が覚めて水を欲しがったら、連絡してください。その後も、17時になれば、これも看護師立ち会いのもと、プリンやゼリーなどなら、食べても良いですよ」と言われ、眠っている息子を横に、ぼくたちが大喜び。
 そして、16時すぎ、昨日注文しておいた原付(リトルカブ)の座席シートがもう届いたとY自動車店から電話があったので、ぼくは原付に跨がって店へ走る。帰りに京阪百貨店(守口店)に寄って、地下の食料品売場でユーハイムのプリン2個(@230円)と、フジッコのぶどうゼリーと国産ぶどう100%のぶどうゼリーを1つずつ購入。百貨店内の旭屋書店も少しブラリと覗いてしまい、杉田成道願わくは、鳩のごとくに (扶桑社文庫)』が気になるも、家に読みたい本が多くたまっているので、山田太一の解説を読んだだけで、購入せず。このときも、旭屋書店でさえ「まぶしい」としか思えなかった。もう純粋に本屋を楽しめなくなっているじぶんがバカみたいだと、再度。
 17時すぎ、病室へ戻ると、義父と義母はまだいて、息子は目覚めていた。どうやら、念願の水も飲めたらしい(2杯飲んだが、2杯目は吐き出した、ということ)。主治医のA医師も、病室を訪ねてくれて息子の様子を診てくれていたようだった。ぼくが帰宅したのは、17時を過ぎていたので、これまた息子念願の、ぼくの買ってきたぶどうゼリーを食べると息子は言い、ナースコールを押して看護師さんを呼ぶも、「まずは、ひと口。ひと口食べたら、10分間ぐらい様子をみて、何も問題が起きなければ食べ続けてもいいよ」と言われ、「ひと口」だけで我慢しろ、というのは、あまりにも酷だと思ったけれど、なんとか息子を言い聞かせ(もちろん、泣きわめいていたけれど)、時計を見て17:30になったところで、異常がないので、また看護師さんに来てもらって、ふた口、み口、と、結局、国産ぶどう100%のぶどうゼリーを全部食べた。そこで、義父と義母は帰宅。また金曜に見舞いに来てくれるという。その後、プリンも丸々ひとつ平らげた息子は、とても満足そうだった。
 病室から見える空は暮れかけていて、夕陽でオレンジ色に光る雲を指さして、息子は「ほら、雲が」と乾いた声で言った。
 ベッドの上で妻と3人でアンパンマンのパペット(看護師の実習生の人が置いていってくれた)で遊んだり、昨日から入院して、初めてテレビ(Eテレ天才てれびくん!」と「くつだる。」)を見た(息子は瞬きも忘れたかのように熱心に見ていた)。妻が簡易ベッドを用意し始めたので、ぼくが試しに横になっていると、疲れていた妻(きょう、何度も泣いていた)は、久しぶりのテレビの刺激でグッタリきていた息子をもう寝かせようという作戦で、家から持って来ていた大好きな絵本、シェリー・ダスキーリンカー/ぶん・トム・リヒテンヘルド/え・福本友美子/訳『おやすみ、はたらくくるまたち』を息子を隣にベッドで読み聞かせ、ふたりはウトウト、ぼくもそのまま簡易ベッドで寝そうになるも、20時前の検温に来た看護師さんの扉を開ける音で目が覚めた。
 ぼくは、面会時間が20時までなのでそのまま帰宅。

 息子は、生まれて初めての手術、とてもがんばった。実際に褒めたけど、また改めて、ほんとうに褒めてあげたい。

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(切除された息子の扁桃腺。A医師の手)

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