たられば書店 (仮称) 開業日誌

大阪・守口市に「まちの本屋」(たられば書店[仮称])を開こうとする試み

すべからく、こと、山本大介と申します。
大阪府・守口市近辺で本屋を開業しようと思っています。(今のところ)屋号は「たられば書店」。
日頃忘れてしまいがち/あきらめてしまいがちなこと、「もし、…し『たら』/きっと、…す『れば』」を叶えられそうな場所をつくりたいと思っています。

普段は4才の男の子の父親であり、現役「主夫」です。

いま、どんな本屋が求められているのか? ぼくはどんな本屋がしたいのか?
書店業にはほぼ就いたことのない、ずぶの素人ですが、そんなぼくが考え、実行する記録です。
※2014年12月以降、ずいぶん更新停止していましたが、再開しました。(2016.2.25~)

にちじょうごともちらほら書いています。にちじょうと本(屋)は地続きだと信じているので。



​ 美は唯闘に在り、ではなく。~「まちライブラリー」3年目の考察~

■ 「まちライブラリー」のうさんくささ、について

 3/29(火)、ぼくは、「シリーズまちライブラリーを振り返る 第3弾『なぜ本なのか? 本が持つ役割を考える』」というイベントに参加した。そのことを、忘れないうちに書いておきたいと思う。
 「まちライブラリー」とは何か? そのことはこちらに詳しいし、「まちライブラリー」で検索すると、主唱者の礒井純充さんのお名前とともに、数多くのページがヒットするとも思うので、そちらを参照していただきたい。ただ、ぼくがひと言で言わせてもらえれば、「本を媒介にしたコミュニティ&ソーシャルプロジェクト」、といったところだろうか。
 かつて、ぼくは、2013年4月に「まちライブラリー@大阪府立大学」が開設した数ヶ月後の7月末、大阪府中之島図書館で開催された「蔵書0冊からはじめる私設図書館、まちライブラリーの挑戦」という礒井さんの講演を、図書館の方に少し無理をお願いして2才になったばかりの息子とともに参加し、お話をお伺いしたことがあった(参照)。それから約3年、「まちライブラリー」は、全国各地いたるところに発生し、その活動は、広く一般的に知られることになった。

sube.hateblo.jp

 最近、ある本(・本屋)好きの人たちと話していたときに、「そういえば『まちライブラリー』って、なんなんやろね?」という話になった。
 もちろん、そこにいた皆にはその活動に対する敬意はあったが、「ちょっとうさんくさい」、「礒井さんの著作『本で人をつなぐ まちライブラリーのつくりかた』や『マイクロ・ライブラリー 人とまちをつなぐ小さな図書館』などを読んでも、なんとなくやりたいことはわかるのだが、はっきりとしない」という感想もあった。
 そういうなか、ぼくは、「あの活動は、礒井さんが活動を始められた主旨や、やっていること自体は素晴らしいと思うけど、結局、何から手をつけて良いかわからない行政の地域創生や地域振興課みたいなところが、『本』っていう、誰からも批判を受けない物を使ってできる、お手軽な地域振興・住民交流ツールに利用されてしまってると思う。何も考えずに、ちょっとだけ予算もらって、場所を見つけて、本棚立てて、そこに本だけ並べときゃ、はい、『まちライブラリー』のできあがり、わたしたちは、地域創生、地域振興活動してます、っていう目に見える都合のいいツールになってしまってるような気がする」と言ったし、少なからず、今でもそう思っている。
 もちろん、全国の行政職員や、(おもに公立)図書館員の人が真剣にそれらに取り組んでいるケースもたくさんあるだろうし、行政職員にその詳細な意図や目論見はなかったとしても、結果として、その場所とそこに並べられている本たちが媒介となって、地域の住民たちの交流に役立っている場合だってたくさんあるだろう。
 それに、行政だけではなく、本屋さん(絵本屋さんが多いのは、ぼくは何かを象徴していると思うが)を含め、ふつうの人が自宅やそれ以外の私的な場所を使って「まちライブラリー」を展開している例だってたくさんある。
 ただ、その媒介が「本」であることが重要で、それが音楽(レコードやCD)、映像メディア、その他、何でもいいけれど、行政的にマズイ(税金でそれを購入しては、住民の一部から批判を受ける)ものでは、「まちライブラリー」は、ここまで行政を巻き込んでの活動にならなかったし、民間だけのムーブメントでは、ここまで一般的にもならなかったことは、容易に想像できる。

本で人をつなぐ まちライブラリーのつくりかた

本で人をつなぐ まちライブラリーのつくりかた

  • 作者:礒井 純充
  • 発売日: 2015/01/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


■ 初めてのまちライブラリー@大阪府立大学

 そんなことを話していたこともあり、ぼくは、ネットで、この「シリーズまちライブラリーを振り返る 第3弾『なぜ本なのか? 本が持つ役割を考える』」というイベントを見つけたときに、開設から3年後、礒井さんは、これほどまでに大きくなった「まちライブラリー」をどう総括し、これからどう展開されていこうと考えておらえるんだろう? と思い、且つ、「なぜ本なのか? 本が持つ役割を考える」という、これまでぼくが「たられば書店」を開くにあたって考えてきたドンピシャなテーマであったこと、さらには、登壇者(カタリスト)が、ぼくも『走れ!移動図書館: 本でよりそう復興支援 (ちくまプリマー新書)』を読んで感銘を受けた鎌倉幸子さん、それから、よく読んでいるWebマガジン「greenz.jp」の元編集長であり、『日本をソーシャルデザインする (idea ink(アイデアインク))』を書いた兼松佳宏さんであったことから、参加を決めた。

日本をソーシャルデザインする (idea ink(アイデアインク))

日本をソーシャルデザインする (idea ink(アイデアインク))

  • 発売日: 2013/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 この日は、息子の保育所のお迎えを妻に頼んで、洗濯、お風呂、夕食の準備を済ませ家を出て、18:30前、I-siteなんば着。I-siteなんば前にある「Zeppなんば大阪」では、その夜、初音ミクのイベント「HATSUNE MIKU EXPO 2016 Japan Tour」が行われており、ぼくは、その見かけからか、I-siteなんばに向かっている途中、警備員さんから「そっちじゃないですよ、あっちに並んでください」とZeppに誘導されてしまったけれど、その誘導を「微笑」で振り切り(さすが40代!)、I-siteなんばに入り、その3Fに、まちライブラリー@大阪府立大学はあった。ものすごくきれいで豪華で余裕のある空間だった。
 

 事前に、facebookイベントページ)で鎌倉幸子さんが高熱のため来られなくなったことは知っていた(かなり残念!)。会場には、礒井純充さん、兼松佳宏さん、そして、参加者(30名ぐらい)が集まっており、まずは、近くに座っていた数人で自己紹介からイベントはスタート。
 自己紹介は、じぶんが持っていた本を持って、その本についての話をしつつ行われた。この日、ぼくが持って行ったのは、望月昭『育児ばかりでスミマセン。』だった。ウツ持ち&専業主夫という望月昭さんの著作は、ぼくにぴったりな自己紹介本だ。ぼくのグループの人は、司馬遼太郎関ヶ原 上・中・下巻セット (新潮文庫)』や、北條一浩[asin:B012C9QHUI:title]』、湯川カナ『「他力資本主義」宣言: 「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく (一般書)』などを持って来られていたが、くとうてん編集・発行『ほんまに vol.15』(特集:新刊書店と本の話[街の本屋・海文堂書店閉店に思う)を持って来られていた方が、寝屋川市香里園駅)にあった書店「学運堂」のTさんで、偶然同じグループにおられたことは、正直、運命を感じた。Tさんは、facebookイベントページ)に、イベント開始前に投稿されていたこともあって、その個人ページを拝見すると、ぼくが本屋を始めるにあたって、いちばん最初にお話をお伺いした(参照)、守口市内にある尊敬すべき「まちのほんや」さんであるブックスふかだの深田さんとお知り合いのようで、きょう、会場に行ったら、ぜったいご挨拶しよう、と思っていたからだ。
 あと、子どもたち向けの野外活動を仕事にされている方が持って来られていた西村仁志『ソーシャル・イノベーションとしての自然学校: 成立と発展のダイナミズム』という本は、ものすごく興味を持った。

育児ばかりでスミマセン。

育児ばかりでスミマセン。

  • 作者:望月 昭
  • 発売日: 2010/08/01
  • メディア: 単行本
[asin:B012C9QHUI:detail]

■ プロセスの共有とフェーズの移動 ~ ​Except in studyhall,there is no more beauty.

 自己紹介後、礒井純充さんと兼松佳宏さんのお話が始まると、礒井さんは(まちライブラリーの活動は)「本を通して、行政と地域をつなぐ場となっている」とか「住民たちがもともともっていた『主体性のスイッチ』をONにする作用があった」という3年間の振り返りをされたり、その後は、兼松さんが、職業を「勉強家・兼 お父さん」と名乗り始めた理由、そして、「studyhall」(勉強空間*1)の活動(詳細はこちら)やそれに対する思いをお話しされた。

 兼松さんが、きょう、自己紹介の本として持って来られたのは、アルベルト・マングェル(野中邦子・訳)『図書館 愛書家の楽園』で、礒井さんが持って来られたのは、マシュー・バトルズ(白須英子・訳)『図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで』で、おふたりともその内容に触れながら「本の役割」について、深い討議が行われた。
 ぼくは、兼松さんのお話のなかで、興味深かったのは、勉強という行為の再定義のお話のなかで、「プロセス(勉強中の段階)を共有することによって、仲間が増える状況をつくりたい」と仰っていたことで、Webマガジン「greenz.jp」は、たしかに他の媒体に比べれば成功体験のみを紹介するというより、そのプロセスや実践中であることに重きを置いた活動ではあるが、何かを成し遂げた人だけがキラキラしている社会ではなく、その途中、プロセスがあるということだけでも充分評価に値するし、また、ひとつのことに留まっていなくても「フェーズ」を移動していってもいい、本で言えば、誰もが「書き手になること」が普通になる社会をつくりたい、とお話しになっていたことがとても印象に残り、勇気づけられた。
 それは、ぼくが、この「日誌」によって、今、まさに「プロセス」にいること、そして、たぶん、なんとか古本屋を開業できたとしても、おそらくずっと「プロセス」に留まっているだろうし、何より、今、ぼくは古本屋という媒体を必要とし、それをやりたいと思っているが、この「フェーズ」がいつまで続くのか、という保証は、当のぼくにもまったくないからだった。

 この、「プロセス」を書いていきたい、ということは、以前の日誌に、

ぼくがこの「日誌」を書いている理由は、第一に、じぶん用のメモ(後から記憶を辿るため)だ。そして、第二には、(おこがましい限りだが)もし、今後、誰かが「書店を開きたい」と思ったときに、この「日誌」を読んで、書店業界にも出版業界にもほとんど身を置いたことのない、ただの「本好き」であるずぶの素人の人間が書店を開こうとしたときに、どこで躓き、何に困り果て、どんな落とし穴に入り、いつ凹み、何をきっかけに「回復」し、どう足掻きながら、開業にまでこぎ着けたか(もしくは、こぎ着けられなかったか)を知って欲しい、と思っているからだ。

手を挙げた級友に - たられば書店 (仮称) 開業日誌

 と書いた。

図書館 愛書家の楽園

図書館 愛書家の楽園

 その後、質疑応答の時間になったとき、ぼくは、兼松さんが、説明資料としてスクリーンに映し出されていた画面にあった、「​Except in studyhall,there is no more beauty.」ということばの由縁、さらには、ぼくは、その「studyhall(勉強空間)のないところに、これ以上の美があるだろうか(いや、ない)」(こんな訳でいいのだろうか…)というフレーズにある「美」という部分がとても良いと思ったことをお伝えした。「正しさ」とか「善さ」ではない、真善美のうちの「美」、つまり、「なんか理由はよくわからないけど、好き、きれい、素敵、感じる、ビビビとくる」、そういうものが、ぼくらの生きるモチベーションになるということだと、ぼくもつねづね思っているからだ。
 兼松さんは、「​Except in studyhall,there is no more beauty.」の由縁は、詩人・フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが、パリの新聞「フィガロ」に発表した「未来派宣言*2」というもののなかにあった、「​Except in struggle,there is no more beauty.」をもじったものだと教えてくださり*3、さらには、「日本語の『美』という概念には、お金や財力のようなイメージもつきまとうので、ぼくは、beauty、つまり、真実みたいなようなものだと思っています」と応えてくださった。

■ 蛸壺(タコツボ)化する危険性

 その後、礒井さんが『図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで』にも書かれていたこととして、図書館の権威主義、権威性*4のようなものに触れられて、カンボジアクメール・ルージュが図書館や学校を破壊したり、毛沢東文化大革命のときにもやはり同じような知識(人)に対する「迫害」を行ったりしたこと、現在の「イスラム国」も然り、さらには、過去に図書館と同じ役割をもっていたキリスト教の教会や、その他の宗教も、歴史的にみれば、権威であり、その権威をもとに、かなり非道なこともしてきただろうし、そのなかで「聖典(聖書)」は書かれ、写され、保管(保存)されてきたこと。
 また、それを守り、世界に広げ、後世に伝えるために、おおよそ「盲目的」に人々は、その「聖典(聖書)」(=本)の正しさを信じ、あるいは他の人々に「啓蒙」という名目で強要してきた歴史、そして、今でも「本を書く行為」というのは、ある個人や集団の「盲目的」な、ある種狂信的な熱情や思いをもとにかたちづくられるものであり、それを読むという行為は、ときに個人あるいは集団に恐ろしい現実を引き起こす装置でもあるということを説明されつつ、「いつも言っていることですが、まちライブラリーも、そういうことを意識していないと、『蛸壺(タコツボ)化』することになります。そういう本のもつ危険性は、敢えて言いますが、まちライブラリーの負の側面だと言えます」と仰っていたのを聞いて、ぼくは、礒井さんがそれを仰ったことにとても驚き、かつ共感した。

 そして、主唱者である礒井さんがそう仰っているのなら、と、ぼくは、再度、手を挙げさせてもらい、発言した。
 「まちライブラリーは、『うさんくさい』とも思います」と。上記に書いた、本好きの人たちで話していたときに言った、ぼくの意見を。

 さらに、ぼくは、きょうのテーマが「なぜ本なのか? 本が持つ役割を考える」でもあったので、「ぼくは、人と人とをつなぐものは、もちろん本だけじゃないと思っています。それが、靴下でも地下鉄でも何でも良いんです。さっき、兼松さんが言った『beauty』を感じられるものがそこにあれば、人はそれで結びついていくと思います。ぼくは、新刊書店を開くことを目指していて、それに失敗して、これから古本屋を開きたいと思っていますが、ぼくが失敗して、また動き始めるときにその動機のようなものになったのは、逆説的なんですけど、『ぼくは(古)本屋がやりたいんじゃなかったんだ』ということに気づけたからです。本(屋)という権威主義的であり、文化的であり、そういういろんな重たいものが乗っかっているから、余計なプレッシャーや本屋を開く意味のようなものを考えてしまっていましたが、きっとぼくが靴下が好きなら靴下屋さんを始めたいと思っていたでしょうし、たまたま好きだったのが本だった、というだけで、そして、それを使って、人と人とを結びつける場所をつくりたいと思っただけで、ぼくは、本屋をやりたいんじゃなくて、人と人とを結びつける場所をつくりたいということに気づけたとき、また本屋さんをやるための準備を始める気になれたんです。なので、ぼくは、本は決して特別じゃないと思います。こんなに立派なまちライブラリーのような場所で、会員になって、仕事帰りにコーヒーやビールを片手に本を読む、そのことが『本が好き』とか、『エラい』とか、『かっこいい』ことだとか思っていたら、みなさん、それは大間違いだと思います」と。

 ぼくは、以前の日誌で、

ぼくは、この「日誌」はもちろんだけど、普段の生活でも「もし万が一そんなこと思っていたとしても、言わないほうが、本人的には得」だと思われることを、よく口に出したり、書いたりして、誰かに伝えたりする傾向の強い人間だと思う。

手を挙げた級友に - たられば書店 (仮称) 開業日誌

 と書いたが、ぼくがそう書いた理由は、こういうことを「まちライブラリー」の主唱者と、「まちライブラリー」の主旨に共感し、そこに集まっている人の前で言うところにあるかもしれない。今夜も「これは、言ったらオモロイな」とスイッチが入ってしまったのだ。
 そうしたら、ぼくは「さすがだ」と思ったのだが、礒井さんは、

「山本さん、ぼくはね、そういう『本好き』こそ大嫌いなんですよ。ある種の『上から目線』を感じます。さっきも言いましたが、ぼくは図書館も好きじゃない。本屋、とくに古本屋さんも嫌い。神保町なんて歩くと、『どうだー、すごいだろー、俺の集めた本はー』っていう店構えの古本屋がたくさんあって、ほんとうに嫌いなんです。御茶ノ水から高円寺あたりまで中央線がなくなれば良いのにって思うぐらい(笑)。ただ、山本さんの『まちライブラリー』への感じ方も、もっともだと思います。こちらには、そういう意図はないにしても、『上から目線』を感じること、そして、『まちライブラリー』がうさんくさいと感じられることはあるでしょう。でも、そうして、こっちとあっちを分けて、こっちが正しくてあっちが悪い、そうやって分けること自体が危険だし、不毛だということは明らかで、要は、お互いにもう少し違う見地に立って、もっと重要なことをいろんな人といろんなことを話し合える場をつくること、話し合うことが必要だと思います。そうしないと、ほんとうに『蛸壺化』してしまう」

 と仰った。

■ 同族嫌悪からの離脱

 ぼくは、これまた以前の日誌で、

(略)ぼくにできることといえば、今のところは、こうして「開業日誌」をつけていくことだと思っている。それも「もし万が一そんなこと思っていたとしても、言わないほうが、本人的には得ですよね」的なことを、中心に、とまではいかなくても、ぼくが書く必要がある、伝えておく必要があると判断したことは、誰に何を言われても、書き続けたいと思っている。 ただ、唯一、ぼくに面と向かって(とか、メールなどでもいいけど)言わないで、この日誌で書かれたことや、「たられば書店」の開業について、陰でコソコソ言うことはズルいな、と思うけれど。それが、書店業界の人だったりすると尚更かなしい。少しでも良い書店業界、本業界にするための目標はきっと共有できているはず。ぼくが書いたり、行動したりしてることについて、これからの書店業界、本業界をいいものにするための批判なら、いくらでも直接ぼくにしてください。待ってます。

手を挙げた級友に - たられば書店 (仮称) 開業日誌

 と書いたけれど、ほんとうにそうなのだ。

 イベント後の懇親会で、礒井さんは「本業界だけじゃなくて、政治の世界も、マスコミの世界も、ほんとうに狭いんです。そのなかだけでゴチャゴチャやっているんですよ」と仰っていたけど、新刊書店と古本屋、本屋と図書館、という対立は(ばかばかしいとは思うけれど)まだわかりやすい。でも、本が好きな人、(古)本屋さんどうしでも、すぐにカテゴリ(派閥)をつくり、そのカテゴリ以外にいるものを排除、区別したがる傾向にある。
 もちろん、それは、本業界だけではなく、例えば、最近シーズンが開幕したプロ野球ファンだってそうだろう。同じチームを応援していても、好きな選手はみんな違うし、好きな野球スタイルだってみんな違うし、また応援の仕方にだっていろいろある。球場に足を運んで応援することこそが「真のファン」だと思っている人もいれば、携帯で一球速報を見ながら応援する(または、しない)ファンだっている。でも、共通しているのはそのチームが(勝っても負けても)「好きだ」ということだ。そのチームが強くなること、(たいていのファンは)勝つことを望んでいるという共通項があるのに、互いを蔑視し、遠ざける。そんなことは、プロ野球ファン以外からみれば、不毛でしかないし、まさに「蛸壺化」している。

 じぶんの好きなことが「蛸壺化」しないため、盲目的にならないために、どうするか、何ができるかを、ぼく(ら)は考えなければならない。いや、ぼくは、考えたい。
 それが、たとえば、今や斜陽産業になっている本(出版・書店・図書館・その他)業界、そして、人々の関係が希薄になっている地域コミュニティという、二大負荷がかかっている、ぼくの「好きなこと」(本と地域)のために。

 礒井さんは、イベント後に「本の業界は、もうそろそろ気づかなくちゃいけない。インターネットが始まる前から、もうとっくに情報化社会は訪れているのに、何百年も続いたこれまでの本のかたちをどうするのかを決めあぐねている。情報を伝える、という文化的な本の役割を真っ当させるのか、それとも、お金儲けのための商品として本を売りたいのか、そして、そのどちらかにするとして、そのために何をしなければいけないかを考え、変革しなくてはいけないのに、この数十年、結局、何もできないでいる」とお話しされていた。
 ぼくは、その二分化以外に、その中道路線もあり得るかとは思うけれど、たぶん、これまでの本業界はその中道路線を進んできてうまくいっていない。ならば、どうするのか、それを「たられば書店」で実践していきながら、ぼくは考えたい。

 この日は、「まちライブラリー」のイベントに参加して、ほんとうに刺激的な時間を過ごせたように思う。
 礒井さん、兼松さん、そして、きょう出会った方々、ありがとうございました。また「まちライブラリー」に足を運びます。また開店したら、みなさんも「たられば書店」に来てください。

 そういえば、イベント後、ぼくに話しかけてくれたIさんは、「俺は『まちライブラリー』よりも、礒井さん自体に『うさんくささ』を感じるんやけどな(笑)」と仰ってくださり、はっきり言って、会場にいるほとんどのみなさんを敵に回したんじゃないかと思っていたので、そのフォローはとてもうれしかった。ぼくは、Iさんに「でも、その『うさんくささ』が、魅力であり、人を引きつけるってことも多いですよね、何事も」と笑って答えた。
 ぼくは、イベントの帰りの地下鉄のなかで、礒井さんの「まちライブラリー」が3年間でここまで広がったのは、その主旨と手軽さ、おもしろさももちろんだが、主唱者の礒井さんがもつキャラクターの要素が大きいんだな、と改めて考えた。そして、ぼくは、礒井さんの「物腰」が大好きだと思った。



■ 「美」のもつ力・我執=画集

 ↑の「日誌」を書いた後、その内容が「まちライブラリー」に対して批判的なことも含まれているので、礒井さん、兼松さん、そしてまちライブラリーの事務局の方に確認をもらってからUPしようと思い、ぼくは、webページをPDF化し、それを添付して、それぞれの方にメールを書いた。
 そうしたら、礒井さんからは、「(UPに関して)まったく問題ありません」という返答とともに、以下のようなメッセージが添えられてあった。

 実は、あの場では言わななかったのですが、「美」もタコツボになりやすいんです。
 宗教の世界も政治の世界も美学という価値観で対応し、対決しがちなんです。
 美というと多様性があるように思いますが、実はその時代で美しい人というのはある程度範疇があります。もちろん個人差があるけどそれでも枠組みがあります。
 同じ人の機能を持っていてもこの人は、美しい、この人は違うという価値観がでますよね。ここが美の怖さなんです。
 ヒットラーが画家になりたかった話は有名ですよね、でも彼はなれなかった。自分の美意識を徹底したのが、彼の政治であり支配なんです。我執=画集だったのだと私は思います。
 同じ感性でも楽しいとか面白いとかはそんなに精鋭化しない、誰でもその違いがあっていいと感じやすいんですね。
 ここに美の良さと、怖さが潜んでいるのです。

ほんとうにその通りだ。「美」と「政治」(ぼくはすぐに某総理大臣のベストセラー『美しい国へ (文春新書)』を思い出した)の関係性、「美」よりも「楽しいとか面白い」の感覚、感性への信頼。

*1:日本語訳は「自習室」という訳が適当なのだが、日本の「自習室」はとても閉鎖的な空間をイメージさせるので、兼松さんは「勉強空間」とお話しされていた

*2:未来派宣言」について、ネットで検索するとさまざまなものがヒットした。超訳・未来派宣言詩論(佐藤三夫・訳)など。ぼくは、森鴎外が「スバル」に発表したらしい http://homepage3.nifty.com/arteangelico/sakusaku/2_1.htmが気に入った

*3:兼松さんに、この「日誌」の校正をご依頼したとき、当初ぼくは「struggle」の部分を「trouble」と聞き違えていた点をご指摘くださり、それとともに、「『struggle』と『study』、stの部分が近いことが気に入っているんです」、と仰っておられた。「struggle」の意味は、 英語「struggle」の意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書参照。「struggle=もがく」というのと「study=勉強する」が近いのもいいな、とぼくは思った

*4:図書館はいつも、時代の権力とともにあり、権力側の優位性を保つために用いられてきた歴史の側面がある、というような点

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