たられば書店 (仮称) 開業日誌

大阪・守口市に「まちの本屋」(たられば書店[仮称])を開こうとする試み

すべからく、こと、山本大介と申します。
大阪府・守口市近辺で本屋を開業しようと思っています。(今のところ)屋号は「たられば書店」。
日頃忘れてしまいがち/あきらめてしまいがちなこと、「もし、…し『たら』/きっと、…す『れば』」を叶えられそうな場所をつくりたいと思っています。

普段は4才の男の子の父親であり、現役「主夫」です。

いま、どんな本屋が求められているのか? ぼくはどんな本屋がしたいのか?
書店業にはほぼ就いたことのない、ずぶの素人ですが、そんなぼくが考え、実行する記録です。
※2014年12月以降、ずいぶん更新停止していましたが、再開しました。(2016.2.25~)

にちじょうごともちらほら書いています。にちじょうと本(屋)は地続きだと信じているので。



根を張る場所と帰る場所


瀧波ユカリさんからの返信

 3/2更新した「甘美期」というタイトルの当日誌で、マンガ家・瀧波ユカリさんの2/26のツイート(@takinamiyukari)について、そのときぼくが「引っかかってること」を書き留めた。そのツイートとは、再掲すると、以下の3つだ。

http://blog.tarareba.jp/entry/2016/03/02/062345blog.tarareba.jp

 このツイートについて書いたことは↑当日誌のエントリを読んでもらえればと思うのだが、書き終えたことをツイートすると、瀧波ユカリさんから、以下のような「返信」があった。

 ぼくとしては、この「返信」をいただいたときに、瀧波さんに「ちょっと誤解されてしまったかも」と思ったが、すぐに返信することは止めて*1、せっかく「クウネル」の号数まで教えていただいたのだから「まずはその元記事にあたろう」と思った。
 「2004年/クウネル/ku:nel/vol.11」などで検索すると、すぐにいくつかの(古)本屋さんがヒットしたが、「vol.11」は、一応発行日は2005年1月1日になっていて、ただ「目次などを見るとその号数としか思えないし、きっと瀧波さんは2004年発売の、という意味で書かれたのだろうと思い、その目次まできちんと掲載してくれていた「RETROBOOKS」で購入することにした。
 注文後に、「RETROBOOKS」の紹介を読むと、同じ大阪府内の松原市在住の個人の方が運営されている、手芸本と雑誌&演劇パンフレットの(古)本屋で、大阪府内の方だったということや、扱っておらえる本のラインナップがすばらしく魅力的だったので、そのお店で購入して良かった、と思った。
 そして、なんと、その注文は、3/2の午前中のことだったのだが、商品は、きょう(3/3)、ぼくの手元に届いた。「RETROBOOKS」さんの、ものすごい迅速さに驚いた。

http://retrobooks.ocnk.net/product/163retrobooks.ocnk.net

■ 「ku:nel vol.11『ミシンで、だだだ。』」

 今夜、いつものように息子といっしょに21時すぎに「寝落ち」してから目覚めた後、さっそくその記事を読んでみた。

 その記事は「ku:nel vol.11『ミシンで、だだだ。』」(2005.1.1)のなかの、88ページ「下町に咲いた小さな店・母のミシンを踏みながら」という、山崎陽子・文/新居(あらい)明子・写真の、6ページの記事だった。
 瀧波さんが読んでツイートした「『この場所で一生お店をやりたい』と語った洋裁屋さん」、…これだ、この記事でいいよな、と思いながら読み始めた。

「私、ここに根を張ることに決めたんです。別の場所は考えられない。2号店も出すつもりはない。ただ谷中で、おばあちゃんになってもミシンを踏んでいたいなあ。どこに行っても、どこに住んでも、いくつになっても、私の帰る場所はここしかないんです」

 そう、インタビューに答えているのは、「青空洋品店」の店主・あづささん。
 記事から推測するに、29才の年末に「突然の思いつき」から半年でお店をスタートさせて、インタビューは開店から1年5ヶ月後に行われた、とある。おそらく、あづささんが30才か31才のころだろう。

 その「クウネル」の記事自体についても、もちろん、いろいろと思うことはあった。22才で東京から広島に母親の看病のために故郷に戻ったあづさん。余命1年の母親との会話か。再度上京し、29才で「青空洋品店」を開くまでの時間。

「ねえ、お母さんが元気になったら、二人で洋品店をやろうよ。私がデザインと製図、お母さんが縫製をして、気持ちのいい公園でゴザを敷いて洋服並べて売ろうよ」
「いいねえ! お店の名前、どうする?」
 あづささんは迷いなく言った。
「青空の下でやる洋品店だったら、青空洋品店だねえ」

(略)

 3年間の闘病生活の後、最愛の母は天国へ旅立った。

 たくさん木の実拾いをした秋、たくさん日なたぼっこをした春、そのすべてにありがとう---看取った後の苦しみを分かち合う人もなく、ノートに言葉を書き連ねていた時期のメモには、そう書いてあった。
「からだと魂が合体してないような感じでした。単発のバイトで食いつなぎ、時々洋服を作るような生活。お酒に頼ってすさんだこともあります。ミノムシみたいに部屋にこもっていたことも。でも、そんな中で、もう一度洋服に向き合う仕事がしたい! と思い始めたんです。やっぱり洋服を作るのが、私の支えになっている気づいたのです」

 ちょうど、きょう(3/3)は、ぼくの亡母の(生きていれば)69才の誕生日だった。
 2009年6月11日に逝ってしまった母のことを思いながら過ごした一日だったので、こういう会話は、なんともいけない。母が逝ってから、もうすぐ7年になる。生前の母に「本屋さんをやりたい」と、ぼくは言ったことがなかった。また、7年前は、ぼくも、そんなことを思ってはいなかった。何か「サラリーマンではないものに」とは漠然と思ってはいたが、2004年にやっと安定した職業=サラリーマンになって5年、仕事もひと通りわかるようになり、それまで不安定な職にしか就いたことがなく、その安定を見せていることが、母への親孝行だとも思っていた。ぼくが、ぼくなりに本気で「サラリーマンではないものに」、「本屋さんをやりたい」と思い始めたのは、結婚(2008年8月)し、母が逝き、息子が生まれた(2011年7月)、それ以降のことだ。

https://www.instagram.com/p/BCeB6M1vXmi/
きょう3/3は、亡母の(生きていれば)69才の誕生日。五部林が「ジュウオウジャー」のキーホルダーと「妖怪ウォッチ」のメダルをプレゼントしてくれました。

■ 瀧波さんへのお返事

 さて、話を戻そう。
 今、(おそらく瀧波さんが検索されたように)「青空洋品店」ということばで検索すると、約61,500件の検索結果が得られた(青空洋品店 - Google 検索)。
 2007年2月に根津のお店は閉店し、(おそらくご結婚なさり)栃木県鹿沼市で新しくお店をオープン、その後、(「クウネル」の記事から推測すると、おそらく、あづささんのご実家の関係の)広島県北広島町に移られて、県境を隔ててすぐの島根県・邑南町の元郵便局の建物で「青空洋品店」を再開が続いていることが、その検索結果をちょっと覗いてみただけでもわかった。まさに、その検索結果は、ただの検索結果だけれど「それが甘美な…というと語弊があるけどただの苦しさじゃない苦しさだったりする」ものだ。

 そして、もちろん、そういうことを、ぼくは、3/2更新の「甘美期」というタイトルの日誌で言いたかったわけではない。
 「クウネル」など、そういう「流れない系」のメディアに登場した人たちのその後を覗いて、「なーんや、カッコよく『この場所で一生お店をやりたい』とか言ってたくせに、結局、それは一時の思い込みで、そんなんすぐに変わってるやん」と言いたかったわけでももちろんない。「クウネル」が、そして、おそらく「流れない系」のほとんどのメディアが「繁栄の一時を切り取る」ような記事を書くはずがない、書いているつもりもないことも、ぼくはよく知っているつもりだった。
 でも、瀧波さんにちょっとそんなふうに誤解されてしまったのなら、それはぼくの書いたものに否があるわけで、その投稿を今更削除しようとも思わないけれど、ぼくが、3/2の投稿で、ぼく自身を戒めることとして書きたかったのは、ぼくも憧れる「流れない系」のメディアに登場した人たちと、それに憧れているぼくのような「流れない系」のメディアに登場しない市井の人たちにさほど違いはなく、もし違いあるとすれば、彼や彼女らが「当時」抱いた「決意の力強さ」の有無、そして、それを実際に言動に変えられる力なんじゃないか、ということと、さらに、「クウネル」や「流れない系」のメディアとはいえ、雑誌やテレビ、そしてネットなどのメディアはとくに、つねに新しい話題を求め消費していくものであり(それは、もちろん悪いことばかりではない)、その力強い決意をすくい取るだけすくい取っておいて「その後は知らない」ということを、メディア側にいる人間ではなく、読者や視聴者であるぼくは、少なくともそうありたくはない(「あとは知らない」ではなく、彼や彼女らの決意をくみ取って、日常に活かしていくこと)、ということ、そして最後に、もし、ぼくが「たられば書店」を開業することができたとして、今の開業準備中がそうであるように、開業後も、その書店は、単なる商売としてだけあるものではなく、ぼくの、ぼくの家族をも巻き込んだ、おそらく生き方的なものになるだろうから、例え、何らかの媒体で、単なる「おもしろい書店ありまっせ」的な「流れる系」メディアへの紹介ではなく、ぼくの生き方を含めたものが「流れない系」のメディアで紹介されたとき、「流れない系」のメディアを好む人たちが応援してくれたり、お店を訪れたりしてくれたとき、ぼくは、果たして、その人たちが去ったとき、あるいは、ぼくの方から去らなければならなくなったとき、そのことを冷静に受け止めることができるのか、いや、受け止めなければならないし、受け止めていきたい。

 そういうことを伝えたかった。
 やっぱり、手紙もそうだけど、ブログも夜中とか、夜明けとかに書いたものをそのままUPするのは、良くないや。…って、今も、夜中の4時だけど。

■ ぼくの「引っかかり」

 瀧波さんは「『この場所で一生お店をやりたい』と語った洋裁屋さんのインタビューを読んだ後、検索をしたら、その数年後に遠方へ移住をしたと知る。」と書いて、ぼくは、それを読んで、元記事に当たらぬまま、勝手に解釈して、↑のようなことを思った。それは、それで自由なはずだ。そして、瀧波さんが返信をくれて、ぼくは、元記事に当たって、

「私、ここに根を張ることに決めたんです。別の場所は考えられない。2号店も出すつもりはない。ただ谷中で、おばあちゃんになってもミシンを踏んでいたいなあ。どこに行っても、どこに住んでも、いくつになっても、私の帰る場所はここしかないんです」

 という文章を読んで、「なぁんだ、そういうことか」と思った。
 青空洋品店の店主・あづさんは、たしかに、「私、ここに根を張ることに決めたんです。別の場所は考えられない」と言っている。でも、続けて「どこに行っても、どこに住んでも、いくつになっても、私の帰る場所はここしかない」と言っている。
 とても単純なことだった。彼女にとって「根を張る場所」は、ずっと谷中*2なのだ。いろんな事情があって「どこに行っても、どこに住んでも」、彼女の「根を張る場所」は谷中でしかない。
 そのことは、彼女がその後、栃木に移ったり、広島に移ったり、島根で店を構えていることと、なんら矛盾はしない。栃木にいても、広島にいても、島根にいても、「根を張」っている場所は、谷中なのだ。
 そして、もし、彼女が移住した後の現在、「根を張る場所」が谷中ではなく、広島・北広島町でも、島根・邑南町に変化していても(むしろ、ぼくにとっては、その方が「健全」だと思えるけれど)、瀧波さんの言うとおり「当時の決意の力強さをなんら損なうものではない」。当時は、たしかに、そう思っていた、というだけのことだ。「クウネル」のその記事も、よくある「おサレな地域(ここでは、谷中)推し」というものではなく、あづさんという人に焦点を当てたものだったし。

 瀧波さんのツイートが、「『この場所で一生お店をやりたい』と語った洋裁屋さんのインタビューを読んだ後、検索をしたら、その数年後に遠方へ移住をしたと知る。」ではなくて、「『どこに行っても、どこに住んでも、いくつになっても、私の帰る場所はここ』と語った洋裁屋さんのインタビューを読んだ後~」と書かれていたら、ぼくの感じていた「引っかかり」は、また別のものになっていたかもしれない。
 でも、現実は、そうではなくて、その現実の瀧波さんのツイートに、ぼくは「引っかかり」を感じてしまい、そうして、ぼくの開業以後の、(まだ開業もしていないのに!)妙な心配をしてしまったというだけのことだ。でも、その「引っかかり」は、ぼくにとって大切なことで、今、考えてみたいことだった。

 大変長くなってしまったが、以上が、瀧波ユカリさんの返信に対するお返事だ。
 こんな辺境ブログを読んでいただき、そして、返信をいただけた瀧波さん、どうもありがとうございます。とてもうれしかったです。

■ 仁義に反する

 そうそう、辺境ブログで思い出したけど、↑と同じ投稿内で、以下のように書いてたら、

何か、昨夜(ゆうべ)から、この辺境ブログに、コメントいただいたり、「読者」になってくださったりする方が増えているなぁ、と思っていたら、なんとこのブログが「はてなブログ」の「注目のブログ」の1番上になっていた。

甘美期 - たられば書店 (仮称) 開業日誌

 今夜届いた「週刊はてな」内の「今週の注目はてなブログ」にも挙げられていて、すごくビビった。

magazine.hatenastaff.com

 この「開業日誌」、以前(2014年)、新刊書店を開こうと奔走していたときに、取次さんの担当者と会う度に、その詳細を書いていたせいで(もちろん書いてはいけない部分は書かなかったつもり)、取次関係者からは、どうやら「大変不評」をいただいているらしいことを、耳にした。「仁義に反する」のだと。
 当時、ほとんどの取次の方には、ほんとうにていねいにしていただいたのだけど、ある1社だけどうにも腑に落ちない対応をされたところがあり、たぶんその1社の方が「仁義に反する」と仰ってるのだとは思うのだけど、そして、もう書店を大手取次を通して開業することは諦めたし、今更どう思われても良いのだけど、どうか、どうか、取次関係の方の目にはなるべく触れず、それ以外の多くの方々に「注目」していただけるよう、ご配慮、お願いします、はてなさん。


追記

 (3/5)その後の瀧波さんとのやりとりを更新しました↓。

http://blog.tarareba.jp/entry/2016/03/05/035057blog.tarareba.jp

*1:ネットを使って10数年でやっと会得したのは、何事も「すぐ」に反応すると、良くない結果になることが多いということだ

*2:根津?→ぼくはあの辺りの地理にとても弱いのでその違いがよくわからない

copyright © たられば書店 Tararebabooks.