甘美期
■ 力強い決意
昨夜(ゆうべ 3/1の夜)もまた21時すぎに息子と「寝落ち」してしまい、目覚めたら(3/2の)AM2時前。
それから、パソコン起ち上げて「いろいろ」してたら、もう5:30。これからもう一度寝る(7時には起きる)のだけど、その前に、数日前からずっと「引っかかってること」について、ちょっと書き留めてから眠る。
その「引っかかってること」というのは、マンガ家・瀧波ユカリさんの2/26のツイート(@takinamiyukari)だ。
ぼくは、瀧波ユカリのマンガの良い読者ではない(もちろん『臨死!! 江古田ちゃん(1) (アフタヌーンコミックス)』ぐらいは読んでいる)けれど、彼女の『はるまき日記 偏愛的育児エッセイ (文春文庫)』を読んでから、一気にその文章、というか、文体のファンになり、それからツイートもたまに読ませていただいている。彼女のツイートでぼくがハマる(笑う・吹き出す)のは、たいてい育児関連のものが多いのだけど、今回「引っかかってる」ものは、少し違う。「たられば書店(仮称)」という古本屋を開こうと考えているぼくにとって、何か「引っかかって」しまったのだ。
そのツイートは、以下の3つだ。
10年以上前のクウネルを読み返してて、気になった人(カフェのオーナーさんやお花屋さんなど)が今どうしてるか知りたくてお名前で検索をすると、まだ同じお店を続けてたり、新しいことを始めてたり、お母さんになっていたり、それぞれ。でもこの検索、なんか罪深い行いのような気がしてしまうのだ。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2016年2月26日
「この場所で一生お店をやりたい」と語った洋裁屋さんのインタビューを読んだ後、検索をしたら、その数年後に遠方へ移住をしたと知る。でもその事実は、当時の決意の力強さをなんら損なうものではないし、決意は決して人を縛ったりしないんだな、と思ったり
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2016年2月26日
そしてもう一度インタビューを読み返すと、私はあなたの10数年後を実は知ってしまっているのだ…というチクンとした罪悪感を感じてしまって、それが甘美な…というと語弊があるけどただの苦しさじゃない苦しさだったりするのです、ふるい雑誌はよいものですね
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2016年2月26日
雑誌「クウネル」(最近のリニューアルは不評だったみたいだけど)に紹介されていた、というのが、ミソだと思う。関東で言えば「東京ウォーカー」とか「OZmagazine」とか、関西で言えば「Meets Regional」とか、そういう「流れる系」の雑誌ではなく「クウネル」。例えば、それは「ソトコト」でもいいかもしれない。
ここでぼくが引っかかったことは、ずいぶん前に読んだ渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』の読後感と少し似ている(その感想はこちらに書いた)*1。
「流れない系」の人・もの・出来事を紹介し、そこに登場する人の「生き方」みたいなものまでひっくるめて奨励し、ついぞはその記事に憧れた読者の生き方や進路まで変えてしまう「クウネル」のような雑誌に登場した人々の「その後」(10年以上後とか)なんて、ぼくは想像したことはなかった。ただ、雑誌記事やイベントに登場し、紹介され、切り取られた人の日常っていうのは、それほど毎日彩り鮮やかなものではなく、けっこう地味で、けっこう大変だという現実は、記事の向こうにそれを読むことはしていた。でも、たしかに、その人たちも雑誌に登場してから10年後も生きている。その10年後を知ることは、やっぱり「罪深い行い」なのかもしれないけれど、知っていて良い事実だと思う。
「この場所で一生お店をやりたい」と言った洋裁屋さんの移住の事実は、それに憧れた人を裏切る行為にはならないか、…もちろん、ならない。瀧波さんが言うとおり、「当時の決意の力強さをなんら損なうものではないし、決意は決して人を縛ったりしない」。でも、やはり読者としてはショックだ。
ちょうど(というか、単に偶然)、ぼくが、2/26にblackbird booksに訪れ、店主のYさんと話していたとき、
(前略)最後に「どこか、最近というか、これまで行った古本屋さんのなかで、オススメはありますか?」と、ぼくが訊ねると、Yさんは少し考えられてから「神戸の『トンカ書店』ですかね。女性ひとりでやっておられるんですけど、もう長い間、継続されているのがすごいと思います」と答えてくださった。「そうですよね、古本屋は、わりと簡単に開業できるようですけど、『継続すること、維持すること』が、きっとすごく大変でしょうね」とぼくは言った。
息子への告白 ~「blackbird books」へ~ - たられば書店 (仮称) 開業日誌
というような会話をしていて、もちろん、『継続すること、維持すること』ばかりに固執することが正しかったり、良いことだったりするとは限らない場合も多いだろうけれど、ぼくは、もし「たられば書店」を開店できたとしたら、そしてまさしく、その開業・開店、そしてそれに続く営業(?)・運営(?)・経営(?)は、ぼくにとっては、ぼくの「生き方」、「身の処し方」そのものなのだけど、今、「営業(?)・運営(?)・経営(?)」と「?」マークを付けたように、その店の営業継続は、ぼくにとって、ただの「商売」ではあり得ない。もっとドライでもいいと思うし、きっとドライにならざるを得ない瞬間というのがたくさん訪れるとは思うけれど、きっと「そういうものにはしたくない」という思いが今は強い。力強い決意、か。
もし「仮に」だ、「仮に」「たられば書店」が、「クウネル」のような「流れない系」のメディアに紹介されたとして、ぼくは、その一時の「繁栄」を冷めた目線で感じていられるのだろうか。
「調子乗り」のぼくは、すぐにアレコレ手を伸ばして、結局、本業(古本屋)が疎かになって、閉店。…のようなことにならないだろうか。10年後、このブログを見たとき、何を思うだろうか。
- 作者:瀧波 ユカリ
- 発売日: 2014/12/04
- メディア: 文庫
■ 浮き足立つ
「調子乗り」ということで思い出したけど、さっき、このブログにコメントした人に教えてもらって驚いた。
何か、昨夜(ゆうべ)から、この辺境ブログに、コメントいただいたり、「読者」になってくださったりする方が増えているなぁ、と思っていたら、なんとこのブログが「はてなブログ」の「注目のブログ」の1番上になっていた。
きっと、前回の投稿が「誠光社」について書いたからかもしれない。
「注目」されているのは、短い時間だとは思うけれど、このことで浮き足立つことなく、しずかに、健やかに、密やかにやっていきます。まだ何も始まっていないし。
あー、もう6:30だし。30分寝る。
*1:全然どんなこと書いたか詳細には覚えてなかったけど、今、リンクするために、ページを開いたら感想のなかに「クウネル」が登場してて驚いた