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たられば書店 (仮称) 開業日誌

大阪・守口市に「まちの本屋」(たられば書店[仮称])を開こうとする試み

すべからく、こと、山本大介と申します。
大阪府・守口市近辺で本屋を開業しようと思っています。(今のところ)屋号は「たられば書店」。
日頃忘れてしまいがち/あきらめてしまいがちなこと、「もし、…し『たら』/きっと、…す『れば』」を叶えられそうな場所をつくりたいと思っています。

普段は4才の男の子の父親であり、現役「主夫」です。

いま、どんな本屋が求められているのか? ぼくはどんな本屋がしたいのか?
書店業にはほぼ就いたことのない、ずぶの素人ですが、そんなぼくが考え、実行する記録です。
※2014年12月以降、ずいぶん更新停止していましたが、再開しました。(2016.2.25~)

にちじょうごともちらほら書いています。にちじょうと本(屋)は地続きだと信じているので。



とりあえず再始動(ほんとうはまだそこまで実感できていない)のお知らせ。これまでの整理。

 もうこの日誌を更新しなくなって、1年以上経つ。
 何にも言い訳はしたくない。何もかも振り出し。いや、それ以下か。

 「新刊書店『たられば書店』を開業する」ことを目指して、2014年9月からやってきて約3ヶ月で撃沈。
 このページでは更新しなかったけれど、更新が止まって以降も、明けた2015年2月中旬ぐらいまでは、なんとかそれを目指して動いてはいた。

●2014年

12月


  • 12/6(土) 上京。「これからの本屋講座・第2期」(第4回)参加。第3回に引き続き、「新刊書店『たられば書店』」の計画を、内沼(晋太郎)さんら参加者の方々と煮詰める。



  • 12/12(金) 上京。「これからの本屋講座」時に、内沼晋太郎さんに紹介してもらった某取次のKさんと会う。これが取次を通した新刊書店開業の「最後のチャンス」だと思ってかなり意気込んでいた覚えがあるも…。ただ、Kさんには、すごくよくしていただいた。何時間もお話してくださった。「あたらしい書店(本屋)のかたち」を模索することを、これからもお手伝いいただけるような内容だった。北尾トロ高野麻結子編著『新世紀書店--自分でつくる本屋のカタチ』(ポット出版)をいただけた。

新世紀書店--自分でつくる本屋のカタチ

新世紀書店--自分でつくる本屋のカタチ


 夕方近くになって、神保町で大学時代の同級生&T書店のバイト仲間だったIさんと、小宮山書店のビルの地下にある神田伯剌西爾(ぶらじる)→あともう1軒でお茶→ふたりして「東京堂書店」へ。夜になり、Iさんと別れ、「町本会(町には本屋さんが必要です会議)ファイナル」@東京堂ホールに参加。大盛況。夏葉社の島田さん、往来堂書店の笈入さん、空犬さんにご挨拶。紀伊國屋書店グランフロント大阪店)店長・星さんと名刺交換。大阪のぼくと星さんが東京で名刺交換って妙だなと思った覚えがある。その後、皆さんは懇親会のようなものに行かれたようだけど、ぼくは、Kさんと会い、玉砕していたことがやはりじぶんで思っている以上にショックだったようで、神保町の片隅で、ひとり缶ビールを飲んで、すぐホテルへ。


  • 12/13(土) 「これからの本屋講座・第2期」(第5回・最終日)参加。前日、Kさんと会い、良い結果ではなかったことをみなさんに報告しつつ、ちょっと上の空で、「新刊書店『たられば書店』」の計画を、内沼(晋太郎)さんら参加者の方々と煮詰めるも、「もう新刊書店は、諦めないといけないな」と内心感じていた。



  • 12/24(水) K工務店と打ち合わせ
  • 12/29(月) Y工務店のYさんと話

●2015年

1・2月
  • 1/8(木) K工務店と打ち合わせ
  • 1/13(火) Y工務店のYさんと話
  • 1/23(金) K工務店と打ち合わせ
  • 2/19(木) K工務店と打ち合わせ

 年が明けてからの工務店との打ち合わせ、そして、M不動産との契約に向けた手続きは、物事は進むものの、もうじぶんのことではない、ふわふわした霞を掴むような感じを抱きながら、とりあえず、出向いて、話して、「それでは、また」と言って帰ってきて、ふて寝して、…のような回を重ねていたような覚えがある。

 その2月下旬、ぼくは、もう何かプッツリと糸が切れたように、この本屋開業に向けてのことだけではなくて、家事も育児もほぼ何も手に着かなくなり、鬱。
 以降、秋(9月ぐらい)までの出来事は、ほぼ何も覚えていない。

 ずっと相談に乗ってくれていたK工務店の社長やTさん、Y工務店のYさん、M不動産屋さんのYさん、以前新刊書店を経営されていて、親身になって相談に乗ってくださっていたHさんとも、一切連絡をとらなくなった。M不動産屋さんのYさんは、何度も電話をかけてくれてくれたけど、全部無視してしまっていた。もちろん、他の人々の心配してくれるメールとか、そういうものも一切拒絶。個人的なfacebooktwitterの投稿もゼロ。ネットも見なかったし、パソコンもほぼ起ち上げなかった。
 もうぼくのなかでは、本屋とか書店とかの情報を一切シャットアウトした。いや、外界からの情報を一切シャットアウトしていた。
 
 毎日のように撮っていた息子の写真も1枚も撮らなくなった。
 息子は7月に4才になったが、どんなふうに祝ってやったかも覚えていない。誕生日には義父母が来てくれて、息子と、ぼくら(ぼくと妻)に自転車を買ってもらったのを覚えているぐらい。
 妻が全部を引き受けてくれていた。申し訳ないと思いつつも、何もできなかった。

9月

 秋になって、きっかけが何だったのか、思い当たる節はある(それはまだ書けない)けれど、やむを得ず、保育所が休みの土日(祝)に、ぼくが息子とふたりで過ごさざるを得ない状況が訪れて、はじめはものすごく負担ですぐクタクタになっていたのだが、9/26(土)に、息子に「ニンニンジャーショー」を見せてやろうと、東映太秦映画村を訪れた日から、少しずつ、何かが回復していったような覚えがある。


10月

 ただ、それからも「生き返る」のは週末だけで、あとはずっと死んでいた。
 10/2(金)に、保育所帰りにビバモール寝屋川店に行き、そのなかにあるABCマートで、息子に靴を買ってやった。翌3日(土)には、息子と天王寺動物園に行った。翌4日(日)には、息子とハンバーグをつくった。
 10/10(土)は、保育所の運動会だった。
 10/17(土)は、息子が京阪電車に乗りたがっていたので、大阪市立科学館へ行った。息子は、初めてのプラネタリウムにとても喜んでいた。そして、翌18日(日)には、京阪ファミリーレールフェアに。
 10/23(金)、24(土)は、4才の誕生日に義父母(息子にとっては祖父母)が息子に買ってくれた自転車に乗って、近くの公園で目一杯遊んだ。25日(日)は、京都・亀岡夢コスモス園」まで(このときは妻といっしょに3人で)コスモスを見に行った。

 それまでの2~9月までに比べると、怒濤のような10月だった。やはり、息子と過ごす時間が、ぼくを否応なく日常に引っ張り戻してくれたのかもしれない。

11・12月

 その後も、息子との濃密な週末は繰り返され、それがだんだん週末だけではなくなった。そして、妻との関係も徐々に回復していった。
 11/21(土)には、息子の七五三詣@守居神社にも行けた。レンタルした着物を家族3人で着た。そう、そして、そのとき、ぼくが「本厄」だとも気づいた。

 12月に入り、それまでも一切、本屋とか書店の情報をシャットアウトしたぼくが、妻と息子と3人で兵庫・たつの市に行ったとき、龍野城近くの「ねぶたや書店」(龍野町本町56)という古本屋を見つけ、なぜかふと「入ってみよう」という気になった。息子といっしょに入ったので、ゆっくりはできなかったが、久しぶりの本の匂いに胸がザワついたのをよく覚えている。

 そして、クリスマスには、手づくりで、クリスマスの夕食をつくった(料理に凝りだしたのはこのころからだったかもしれない。今では毎日、夕食をInstagramにUPしているほどになった)。

 そして、12/26-27で、家族で鳥取に旅行した。
 なぜ鳥取にしたのかは、他にいろいろと理由があったのだけど、鳥取といえば、もちろん「定有堂書店」である。店主・奈良敏行さんが書いた『
街の本屋はねむらない (現代書店業)』を読んでからというもの、ぼくは奈良さんと話をしたくてたまらなかった時期があった。そして、旅行2日目、雨のなか、憧れの場所であった「定有堂書店」を訪れた。店内には、奈良さんもいた。ほかに誰もお客さんはいなかったし、それほど忙しくもされていなかったので、通常時(?)のぼくなら、きっと奈良さんに話しかけただろうと思う。でも、なんと言って話しかけたら良いのか、まったくわからなかった。定有堂書店自身が刊行した『伝えたいこと―浜崎洋三著作集』と、小山ゆう
雄飛(1) (ビッグコミックス)』の2冊を購入した。
 今から思うと、小山ゆうの作品を買ったのは、ぼくの何かの決意表明(奈良さんに対する)だったかもしれない。小山ゆうの作品は、ぼくは、子どもの頃から「ツライとき」、そして「ツライけれど、なにか動かなければいけない」と思ったときに、背中を押してもらうために、よく読んで(読み返して)いた(『おれは直角』など)。宮崎駿監督の『未来少年コナン』とともに。もちろん、そんなことを奈良さんは知るよしもなかっただろうが、レジに行き、2冊の本を手渡したとき、(今度来るときは、お話しさせてください)と思いながら、「お願いします」と言った。

blog.tarareba.jp

伝えたいこと―浜崎洋三著作集

伝えたいこと―浜崎洋三著作集


 そうして、日常が少しずつ回復したのを実感しつつ、年の暮を迎えたように思う。

●2016年

1月

 2015年、ぼくは1枚も年賀状を出さなかったが、今年は200枚以上書いた。

  • 1/5(火) 大学時代の同級生・Tさんから夜中にメールが届いた。ぼくの恩師であり、メンターであった「三橋修先生が逝去された」という内容だった。ショックだった。そして、その翌日には、新聞の訃報欄にも掲載されていた(参照)。三橋先生は、12/29には亡くなっており、「すでに近親者でお通夜などは行った」と記事はあった。三橋先生に、ぼくが何かを始めた[る]ことをもう報告できないと思うと、ものすごく悔しかった。
  • 1/11(水) 夜中に、ぼくはfacebookに以下のような投稿をした。

もう、2016年も11日が経過してしまいましたが、改めまして「新年あけましておめでとうございます」。


思えば、昨年(2015年)は、ほんとうに「空白」の一年でした。
一昨年(2014年)の夏の終わりから、始動し出した「書店開業」という夢が、年が明けるとともに、さまざまなタイミングや機会や気分などが合わず(乗らず)、いつの間にか頓挫し、それとともに生活も荒(すさ)み、開業に向け、ご協力していただいていた人々や応援してくれていた周囲の方々にはもちろん、生活をともにする妻や息子にも直接的な迷惑をかけてしまって、申し訳ない気持ちを抱えながらも一歩も動き出すことのできない、そんな日々でした。
昨年が厄年(本厄・大厄)だった(=今年は後厄)、そんなことのせいにするつもりはありませんが、後から振り返ってみると、ほんとうに「そうとしか言いようのない」辛い日々でした。
連絡をもらっても、ほとんど返信をせずに失礼していたみなさん、ほんとうにごめんなさい。


昨年の秋ごろから、生活の改善が少しずつ進み、今は最低限の「主夫」としての務めは果たしているつもりですが、「このままで良いのか」と自身に問うと「否(いな)」という回答が、胸の奥から湧き出てきます。
何ができるか、何がしたいか、今ここで年頭の辞を発したい気持ちもあるのですが、もう少し暖めておきたいと思います。

* *


今年の年賀状は、年末も差し迫った夜に、妻が大掃除をしている傍ら、息子(五部林)が水彩絵具で描いた「作品」を使いました(右下のイメージはぼくが描きました)。
いただいた年賀状には、何人もの方から、五部林の「色彩感覚がすばらしい」とのことばをいただきました。ありがとうございます。親バカですが、ぼくも「すごい」と思いました。


五部林が描いたこの絵は「深く暗い海や山々の連なる地平の向こうから、陽が昇って少し空が明るんでいる」、ぼくには、そんなふうに見えました。


今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
日々の出来事、感想、与太話はもちろん、胸の奥から湧き出てくる「何か」も、この場でお伝えしていけたらと思っています。


2016.1.11 山本 大介

 

もう、2016年も11日が経過してしまいましたが、改めまして「新年あけましておめでとうございます」。思えば、昨年(2015年)は、ほんとうに「空白」の一年でした。一昨年(2014年)の夏の終わりから、始動し出した「書店開業」という夢が...

Posted by 山本 大介 on 2016年1月10日

 ものすごくたくさんの「いいね」や「コメント」をもらって、恐縮だった。けれど、「また戻れるかもしれない」という気持ちになった。

  • 1/14(木) 妻が通勤帰りにもらってきてくれた、関西地方の私鉄・地下鉄各社の団体「スルッとKANSAI」が発行している隔月刊のフリーペーパー『Asobon!(アソボン)』(2016年1・2月号 vol.23)が、<いまどき、書店がおもしろい>と題した書店特集を掲載していた。「きっと、いつもの有名どころが載ってるんだろうな」と思って手にとって見たところ、わりと「渋い」店選びがしてあった。大阪・駒川中野にある、銭湯を改装して開店した「LVDB BOOKS」という古本屋がものすごく気になった。

lvdbbooks.tumblr.com

今配布されている、関西地方の私鉄・地下鉄各社の団体「スルッとKANSAI」が発行している隔月刊のフリーペーパー『Asobon!(アソボン)』( http://www.surutto.com/asobon/ )が、<いまどき、書店がおもしろい...

Posted by 山本 大介 on 2016年1月14日

  • 1/17(日) どれくらいか忘れるぐらい久しぶりに小説を買った。電車に乗りたがっていた息子と出かけた天王寺・あべのハルカスで開催していた「魔法の美術館」に行った帰りに、「ちょっとだけ、お父さんの行きたいとこ付いてきてくれる?」と息子に頼んで訪れた、スタンダードブックストアあべので。記念すべき一冊は、長嶋有愛のようだ』。

https://www.instagram.com/p/BAoNVfgvXiv/
長嶋有『愛のようだ』。サイン本を見つけたので。思わず。

  • 1/19(火) 年賀状を書いたおかげで、いろんな人の近況を知ることになったのだけど、実の父(父と母は、ぼくが幼い頃に離婚している)の年賀状が「宛先不明」で戻ってきたことが気になっていたぼくは、この日、以前父が住んでいた(年賀状を送った宛先でもある)、大阪・豊中のアパートを訪ねた。もう父の部屋だったところには、別の人が住んでいて、父のことを訊ねても「知らない」ということだった。少し胸騒ぎがして、アパートの管理会社や不動産屋にも行ったり電話したりしてみたが、誰も父の行方を知らなかった。


  • 1/23(土) 妻の許しを得て、「絲山秋子 新潮×河出 二社刊行記念読書会! in大阪」に参加。久しぶりのイベント参加の「お願い」を妻にしなければならず口ごもったが、妻は快諾してくれた。憧れの絲山秋子さんに出会え、興奮。そして、会場でやりとりされていた、とても久しぶりに耳にする「読書会」的言語にも興奮。ぼくは、ほぼひと言も発することはできなかった。ただ、こういう場所があるし、あってもいいんだ、ということを感じた。

 ぼくにとって絲山秋子は、「仕事小説」だったので、仕事を辞め、3年半、読書会のために久しぶりに読んだ彼女の『薄情』は、なにかとてつもない違和感がありつつ、なにかとてつもない小説のもつ力を感じた。


  • 1/25(月) ある方法を使って、父の居所判明(だが、ほんとうにそこで生活しているかは不明)。携帯電話番号も変わっていたので、父に手紙を書き、投函。ただ、「生きていること」がわかりひと安心。
  • 1/28(木) 意を決して「LVDB BOOKS」@駒川中野を訪れるも、臨時休業。

LVDB BOOKS http://lvdbbooks.tumblr.com/ にやってきたものの、本日臨時休業…。んー、こんなこともあるさ!銭湯を改装してお店にしたって聞いてたから、もっと広くて大きいと思ってたけど、こじんまりしてる。

Posted by 山本 大介 on 2016年1月27日


 そうして、この2月を迎えるわけだけども、すべては、2/4(木)に再訪問した「LVDB BOOKS」の店主・Kさんと話したことから、再スタートしたように思う。

先日(1/27)訪れて臨時休業だった http://on.fb.me/1P8izve 「LVDB BOOKS」 http://lvdbbooks.tumblr.com に再訪問。棚を見せてもらいながら、店主のKさんに「実は先日来たとき、臨...

Posted by 山本 大介 on 2016年2月3日

 その後、2/4の「LVDB BOOKS」を皮切りに、

・2/12(金) 「一色文庫

・2/15(月) 「大吉堂

・2/19(金) 「居留守文庫

・2/23(火) 「誠光社

https://www.instagram.com/p/BCHmWnNPXpx/
やっと誠光社 http://www.seikosha-books.com に行ってきました。さすが版元と直取引のみ(雑誌以外)してるだけあって、メディアで見るお店よりも、直来店した方が圧倒的でした。堀部さんは火曜はお休みみたいで、Mさんとたくさんお話しました。ありがとうございます。

 …と、怒濤の書店めぐり。
 また、2/19に参加させてもらった「勁版会(けいはんかい)」の例会に参加し、そこにいた方々と話をしたは、さらに大きくぼくを突き動かし、こうしてこの「開業日誌」を再スタートさせてくれたきっかけになった。

 2/4の「LVDB BOOKS」訪問から後の書店めぐり、及び、「勁版会(けいはんかい)」については、それぞれ別エントリで書いてみようと思う。
 昨日(2/24)、ぼくは、facebookに、こんなことを書いた。

編集工房ノア」といえば、大阪、関西ではもちろん全国で「詩」について、少し興味をもったことがある人なら、東京の思潮社と並んで、知らない人はいません。
もちろん、詩集だけではなく、山田稔鶴見俊輔の随筆など、関西在住の作家が書く、良質な本を刊行し続けている希有な版元です。


ぼくは、20年以上前、寺山修司に傾倒していたころ、寺山が紹介していた安水稔和の詩に興味を持って、彼の作品が「編集工房ノア」という、大阪の版元から多く出ていることで、その名を知りました。
当時のぼくは、名古屋に住んでいたので、そこで故郷の大阪に、そんな素晴らしい出版社があることを、なぜか誇りに思ったものです。


先日(2/19)、「勁版会」の「例会」に参加させてもらい、そのレポートと感想を投稿させてもらいました( http://on.fb.me/1PMEQPk )が、実は、その例会に、「編集工房ノア」のKさんも出席されていたのです。
そのことを知ったのは、懇親会も終わったお店の下駄箱の前(!)で、名刺交換をさせてもらい、その名刺にあった「編集工房ノア」と、Kさんのお名前を目にしたとき、ぼくは、ほんとうに腰が抜けそうになりました。


「20年以上、ぼくが憧れ続けていた本を刊行し続けている方がこの人なのか!」
うまくことばが出ず、ぼくは、Kさんと話したくて、もうひとりのKさんとおふたりに「もう1軒、いきましょーよー!」としな垂れかかっていただけでしたが、膝が震えていました。


その翌日、ぼくは「例会」のレポートと感想を書き、そのことを当日のゲスト講師である矢野書房・矢野龍三さんや、懇親会でお話させていただいた方々にメールでお知らせしたのですが、Kさんの名刺にはメールアドレスが記載されていませんでした。
それでも、なんとかそのレポートをKさんに読んでいただきたく、テキストをコピペし、写真を添付した簡単なWord文書を作成し印刷して、Kさんにお送りしました。
そうして、昨日、五部林のお迎えから帰宅したら、「編集工房ノア」からの荷物の不在連絡票が玄関に届いており、とても驚いて、すぐに再配達の手配をして、届けてもらいました。


荷物のなかは、Kさん自筆のていねいなお手紙(「編集工房ノア」の原稿用紙に書かれていました)と、「編集工房ノア」のPR誌『海鳴り』のバックナンバーでした。
『海鳴り』は、たしか専用棚も設けてある大阪本店のジュンク堂などでは手に入ったように思いますが、なかなか手に入るものではなく、また、PR誌といえど、執筆者のラインナップは、それだけで1冊の本になるのではないかというぐらいのメンバーが揃っています。
ぼくは、これまた驚愕し、恐縮し、とてもうれしかったです。


ぼくの、拙文・駄文・長文の文章を読んでいただけただけでもありがたいのに、その感想とお礼の品まで送っていただけるなんて(それもこんなにはやく)、感動しました。
そして、憧れた「編集工房ノア」の原稿用紙、そこに書かれているKさんの自筆の文字を見て、かつて文学を志していた(?)20年来の思いやら、いろんなものがこみ上げてきました。
それは、例えると、野球少年が長嶋茂雄に、サッカー少年がペレに会って、彼らからサインボールをもらうようなものでしょうか。

* *


また、それとは別に、一昨日には、矢野書房・矢野龍三さんからも、ていねいなお礼の葉書が届いていました。
みなさん、すごくマメというか、このメールやネット全盛時代に、まだそうやって、紙と自筆で思いを伝える手段を続けている人がいる、たしか、ぼくも、ずっとそうやって手紙を書き続けてきた身なのに、今ではすっかり“webおっさん”に成り下がってしまったと、反省しきりでした。


Kさん、矢野さん、ほんとうにありがとうございます。
忘れていた何かを思い出しました。


やっぱり、いつか、ぼくも、お二人の次世代を担う身として、関西の「本をめぐる状況」に梃子入れする一員になりたい、そう自覚しました。

「編集工房ノア」といえば、大阪、関西ではもちろん全国で「詩」について、少し興味をもったことがある人なら、東京の思潮社と並んで、知らない人はいません。もちろん、詩集だけではなく、山田稔や鶴見俊輔の随筆など、関西在住の作家が書く、良質な本を刊...

Posted by 山本 大介 on 2016年2月23日

 そうなのだ。ぼくは、…そうなのだ。そうだったのだ。

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