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たられば書店 (仮称) 開業日誌

大阪・守口市に「まちの本屋」(たられば書店[仮称])を開こうとする試み

すべからく、こと、山本大介と申します。
大阪府・守口市近辺で本屋を開業しようと思っています。(今のところ)屋号は「たられば書店」。
日頃忘れてしまいがち/あきらめてしまいがちなこと、「もし、…し『たら』/きっと、…す『れば』」を叶えられそうな場所をつくりたいと思っています。

普段は4才の男の子の父親であり、現役「主夫」です。

いま、どんな本屋が求められているのか? ぼくはどんな本屋がしたいのか?
書店業にはほぼ就いたことのない、ずぶの素人ですが、そんなぼくが考え、実行する記録です。
※2014年12月以降、ずいぶん更新停止していましたが、再開しました。(2016.2.25~)

にちじょうごともちらほら書いています。にちじょうと本(屋)は地続きだと信じているので。



「運・鈍・根」、古民家が!

 奈良敏行・田中淳一郎『街の本屋はねむらない (現代書店業)』(アルメディア・1997年刊)を読んだ。
 奈良敏行さんは、言わずとしれた、鳥取定有堂書店の店主。これまで、『本屋図鑑』でも(イラストと文章で)、『BRUTUS特別編集合本・本屋好き (マガジンハウスムック)』でも(内沼晋太郎さんとの対談で)、奈良さんのことばは読んできたつもりだけれど、この本で改めて奈良さんの長い文章(シンポジウムの記録とインタビューで構成されているので、“話しことば”)を読んだのは初めてだったので、興奮した。
 奈良さんは、「町の普通の本屋」のなかの<普通>という部分にこだわる。そして、<普通>とは「受け身であること」、「控えめな地味なもの」、「引いて生きる(待つ)姿勢」だということが語られる。

(略)私が考える本屋というのは、もっと受け身で、控えめな地味なものという気がします

 町の本屋は、雑踏から少し引いたところにあるため、品揃えも、少し引いた品揃えがふさわしいような気がします。そういう「引いて生きる」、という姿勢が私の「町の本屋」の考え方です

 引いて生きるという方法なので、待つことしかできません。待つためには、本屋として地域ときちんと付き合うことだと思います。定有堂教室はそうしたことの実践として考えています。このような当たり前の努力で経営的に成り立っているのは、「鳥取」という風土の知的な土壌に恵まれているからではないかと常々思います。定有堂はここだけで処を得ていると感謝しております。

 もちろん、こうした「受け身であること」、「控えめな地味なもの」、「引いて生きる(待つ)姿勢」という奈良さんのことばのなかには、相当な「含意」があって、これをこのまま正面から受け止めると危険だと思われる。これが、そのまま、ぼくの「たられば書店」に活用できるまでには、かなりの覚悟と時間が必要だし、きっとうまくいかない。
 でも、ぼくも、本音は奈良さんの言うとおりだと思うし、こんなふうに「たられば書店」をやってみたい。もちろん、棚づくりは当たり前に一生懸命にするし、販促活動だってそれなりにする予定だし、「集う場」の仕掛けも、内沼晋太郎さん言うところの「掛け算型」の書店をやっていかなければ、「これからの」本屋は立ちゆかないだろう。そう、所謂、本屋の仕事は、当然汗をかいて行う。
 けれど、根底には、じぶんが何かを仕掛けるというよりは、そうしたなかで本やお客さんや地域が求めるものがわかって、そういう流れさえできてくれば、ぼくの「たられば書店」にだって、この奈良さんの3つの定義が活かせてこれるのではないだろうか。
 奈良さんが、この3つを「町の普通の本屋」だと定義付けされていることは、覚えておいていい。

 最後に、奈良さんの「座右の銘」といってもいいことば。
 

(略)大切に思っている言葉は、いつも自分に言い聞かせているのですが、「運・鈍・根」の三つです。もともと勤め人の世界になじめず始めた仕事ですので、この小さな世界を大切にしたいと思います。「小さい」からこそ大きい世界が望めるのだと思います。引いて生きている場所に立ち現れるあい路を、一つ一つ解きほぐしていく根気と活力を展望の中枢に据えています。

 「運・鈍・根」、そうだな。
 「鈍」というのが、まったくそのとおりだなと思った。


 『町の本屋はねむらない』には、もう一人、東京・。目黒区にある恭文堂書店店長・田中淳一郎さんも登場する。
 田中さんは、書店グループ「NET21」を起ち上げたおひとりで、じぶんの店だけではなく、地域のなかの「まちの本屋」についても深い造詣をもっておられる方のようだ。
 田中さんのことばを引用する。

(略)本を買いに来るお客様にとって本屋とは、どういう環境でなければいけないのか、あるいはどんな意味や付加価値を求めて本屋を訪れるのかということを考えてみる必要があるでしょう。一般に、生活環境の善し悪しを決めるのは、病院、役所あるいは学校、公園等がそばにあることが基準になっています。そうした施設があるなら家やマンションを買う、といった条件につながるわけです。以前は、その要因の一つに「本屋があるといいな」というのがあったんじゃないかと思うんですよね。街の中にはスーパーやいろいろな商店はありますが、本屋というのは、家族も含めて「人と人とのコミュニケーションの場」も提供してきた気はするんです。大げさに言えば、コミュニティーといってもいいかもしれません。

 少なくとも、これまでのぼくにとっては、住む場所の近くに「本屋がある」というのは、「コンビニがある」というよりも、優先される条件だった。
 そういう人は、今でも、いるのではないか。そういう書店をつくりたいと思う。

 また、お店にくるお客さんが、コンビニで雑誌を1冊買ってきた後に、また恭文堂書店で雑誌を購入するという現象をみて、田中さんは、こう分析する。

(略)コンビニエンスストアが没個性化を売りにしているなら、本屋は無意識的にですが、個性化を看板にしています。お客さんにしても没個性的・画一的な部分で便利ではあるが、飽きもくるのではないかと思います。コンビニエンスストアに売っていても、本屋にも来て買う理由というのは(あるいは売り切れていたのかもわかりませんが)、些細なことかなあという気がし始めています。

 そうなのだ。もうそんなこと言われて久しいが、ぼくらは、コンビニやイオンなどの没個性的な場所に、そろそろ「飽き」が来ていると思う。そして、少々面倒だけれど、個性的なお店でものを選び、購入するという生き方を望みつつある。でも、そういうお店がなかなか守口という場所には現れない。いろいろな条件があるのだろうと思う。でも、それをぼくは提案してみたいのだ。
 ただ、コンビニだって、没個性といいながら、よく見てみると、それなりに個性があることもわかる。雑誌の配置や、レジ周辺のPOPなどに。

 例えば、店の中で一番売れる平台、つまりベストセラー平台のスペース一冊分辺りの回転率は、最高で一五冊の平台で年間約一〇〇〇冊以上売ります。回転率はなんと七〇回転以上。ところがある棚の最上段はどうかといえば、在庫四〇数冊で年間一八冊しか動いていない。〇・五回転にも満たない。ここで陥るのは、売れない商品だから最上段にあり、思った通りその商品は売れないという論理。そういうケースもありますが、その回転数の根本的な格差は、その商品の置かれている「位置エネルギー」の差と言っていいでしょう。つまり販売チャンスが多い場所かどうかという位置エネルギーの差が大きいと思います。位置エネルギーが高ければ「運動エネルギー」も高い、つまり動きやすくなるのです。「本の魅力」×「位置エネルギー」の可能性をためすのが、これからの仕事のような気がします。

 「本の魅力」×「位置エネルギー」の可能性、これは、おもしろい言い方だと思った。棚づくりの話を、物理学のようなエネルギーの話に例えておられる。

 最後に、再び、定有堂書店の奈良さんのことばから。

 私は<本の青空>という言葉が好きです。
 従来本屋は、空間としては非常に閉鎖的な感じを持たれています。まず壁際が書棚で埋めつくされる必要があるため、窓がない。天井も人工的な照明を強くするため、極めて低くなりがちです。そうした機能的な現実面とは別に、書物の前では、観念的に意識が拡大し、精神は大空へと飛翔します。つまり心の中の出来事としては、ここにこそ「青空がある」と思えるからです。
 また本屋の仕事というものは結構大変で、日常まさに地をはうような作業の繰り返しが多いわけです。しかし書物を扱っていく行為には、不思議な精神の拡張感があります。こんな喜びや感慨も含めて、<本屋の青空>と呼んでみました。

 本屋には、たしかに空が見えるときがある。
 それは、奈良さんの言うように、青空なときばかりではない。ぼくが本屋に行ったとき、そこに見えるのは、曇天もあれば、嵐のときの方が多いかもしれない。でも、たしかに空はある。本屋という場所が、じぶんの部屋以外では貴重な「観念的に意識が拡大」する場所だ。ぼくにとって、それは図書館ではなかった。
 お客として<青空>を見てきたぼくとしては、今度は、店員としても、お客さんと一緒に<青空>を見てみたい。

 先日、ロバート・D・ヘイルの『書籍販売の手引き―アメリカ書店界のバイブル』の序を引用したときに*1、「こういうことって、書店界に限らずだけど、日本人って、言う人いないよな」と、ぼくは書いたけれど、奈良さんのこの<本屋の青空>論は、この『バイブル』の序に匹敵するほど、かっこいいと思った。
 やはり、奈良さんは、書店員であるとともに、思想家なのだと思う。そして、本屋というのは、職業じゃなく、生きる仕方(鶴見俊輔)なのだと思った

街の本屋はねむらない (現代書店業)

街の本屋はねむらない (現代書店業)

 今朝、8時起床。
 午前中、M不動産のYさんより電話。来迎町に新しい物件情報が出たということ。さっそく内覧してみてはどうか? とのお誘い。
 ぼくは、もうYさんは、本町の「古民家」に「申込」が入ったことを知っているのかと思い訊いてみると、なんと、「申込」ではないが、管理会社のN不動産に軽く声をかけておいたくれたのは、他ならぬYさんだったということ! ということは、「まだ」、というか、「今以て」「古民家」は、誰の申込も受けていないということだ。それどころか、正式にではないが、ぼくの存在を管理外社が知ってくれているのだ。ほっとひと安心。
 K不動産のIさんに電話し、その旨話すと「良かったですね」と言ってくれる。ほんとは、ライバルの不動産会社に先を越されて悔しいのだと思うが、ぼくはIさんには正直に話しておきたかった。

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 午後から木村工務店の「木村家本舗」に妻と息子とともに3人で行く予定だったが、一昨日、発熱した息子の体調が、昨日の運動会当日は良くなったように思えたが、今度は咳と鼻水が出てきて、きょうは、家でゆっくりさせておくことに。
 リトルカブ(原付)に乗って、13時すぎ、「木村家本舗」会場着。
 台風が近づいてきているのか、バイクを運転していると、時折、強風に煽られ、少しこわかった。
 「木村屋本舗」は、確か、一昨年初めて訪れて、今回で2度目。今年は、並んでいる本が少なかったように思えた。
 木村さんから、「BOOKS+コトバノイエ」の加藤さんを紹介してもらう。
 そして、そばにいたMさんご夫妻とも名刺交換。ご夫妻とも本好きだということで、ご主人と、「たられば書店」(の開業)について、少し話をさせてもらう。誰かと話をすることは、やっぱりとっても楽しいしうれしい。ありがとうございます。
 加藤さんには、「本屋なんてやめておいたほうがええ」と言われてしまったが、その後のお話で「食われへんと思うけど、本気でやってたら、ぜったいに誰か手を差し伸べてくれる人が現れる。それはぜったい確かなこと」と言われ、勇気が出た。

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 15時半頃、「木村家本舗」を出て、K不動産へ。
 Iさんと少し気まずい空気になるが、さすが営業マン、「悔しいですけど、できる不動産屋さんですね。良かったと思います」。そのまま車に乗せてもらって、門真市本町の物件内覧へ。商店街に面した売買物件。西三荘駅南の商店街は、かなり人通りが多く、ほんとに単に本屋を開くのなら、絶好の場所かもしれない。でも、ぼくは、単に本屋を開きたいわけではないのだ。


 昨日、見つけた、「これからの本屋講座〈第2期〉」に参加する旨、妻に了承を得る。やったー。
 さっそくネットで申込。定員10名のところ、7番目だった。あぶない、あぶない。


「これからの本屋講座〈第2期〉」講師:内沼晋太郎(numabooks、B&B、BUKATSUDO) | Peatix

*1:http://blog.tarareba.jp/entry/2014/10/09/235805 「本の真の実質は、思想にある。書店が売るものは、情報であり、霊感であり、人とのかかわりあいである」

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