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たられば書店 (仮称) 開業日誌

大阪・守口市に「まちの本屋」(たられば書店[仮称])を開こうとする試み

すべからく、こと、山本大介と申します。
大阪府・守口市近辺で本屋を開業しようと思っています。(今のところ)屋号は「たられば書店」。
日頃忘れてしまいがち/あきらめてしまいがちなこと、「もし、…し『たら』/きっと、…す『れば』」を叶えられそうな場所をつくりたいと思っています。

普段は4才の男の子の父親であり、現役「主夫」です。

いま、どんな本屋が求められているのか? ぼくはどんな本屋がしたいのか?
書店業にはほぼ就いたことのない、ずぶの素人ですが、そんなぼくが考え、実行する記録です。
※2014年12月以降、ずいぶん更新停止していましたが、再開しました。(2016.2.25~)

にちじょうごともちらほら書いています。にちじょうと本(屋)は地続きだと信じているので。



この地の「媒介者」として

 昨夜(ゆうべ)、0時すぎに寝入るも、3時前に目が覚めてしまい、それから、昨日の生活クラブ生協大阪の地区運営委員会で任された、次回の地区企画(「ライフプラン講座」)のチラシ作成に取りかかる。「ズンドコ」生活をだったたので、何ヶ月ぶりか(6月以来か)のIllustrator起動。Illustratorの操作がまったく覚束なかったものの、なんとか仕上げて、支部長のHさんと、地区委員の2人に案を送信したのは、4時すぎ。それから、布団に入って少し木村俊介『善き書店員』を読んで、5時すぎに眠る。
 9時起床。きょうは、風呂場の換気扇の修理に近所のRさん(電気屋さん)が来てくれることになっていたので、朝は息子の病室には行けず。9:30すぎ、Rさん来宅。換気扇を見てもらうと、風呂場のそれはもちろん、トイレの換気扇も機能していないようで、結局、きょうの修理は無理。部品を取り寄せて、来週また本格的な修理に来てもらうことに。修理代は5万円くらいになりそう。
 12時前、M病院の息子の病室へ。すでに、義父と義母も見舞いに来てくれていた。きょうは義父の誕生日だった。息子は、ちょうど昼食を摂り始めたところで、お粥に煮物と桃。お粥に「仮面ライダー鎧武(ガイム)」のふりかけを2袋もかけるも、まったく口にしようとせず(ちなみに、息子は「鎧武」なんて、テレビで見たことがないのに、保育所で同じクラスの悪友のせいか、最近「○○○(じぶんの名前)な、ガイム、大好きやねん」とか、「こんどな、ガイムのえいが(映画)、行くねん」とか、言ってる)。なんとか食事させようとしていると、よく遊んでくれていた看護師の実習生の人が「きょうで、実習終わりなんです」と挨拶に来てくれた。息子に手描きのアンパンマンしょくぱんまんが歯磨きをしている絵を贈ってくれた。息子、手を振って「バイバイ」。その後、妻は、1週間ぶりの出社。義父と義母と息子と4人でしばらく過ごす。義父が作成してくれた動画(旅行で訪れたスイスの鉄道やバスの動画、地元・太子町を走るJRの様子、それから息子の病室の写真、手術当日の息子の様子をさっそく動画編集してくれてPCで見せてくれていた)を見ていると、病室に息子と同じくらいの男の子が入院してきたので、迷惑になると思い、義父はPCをシャットダウン。それから、義母と義父は交代で地下の食堂へ昼食を摂りに。
 ぼくは、息子を昼寝させようとしていたが、入院してきた男の子が興奮して遊び回っているので、息子は気になって眠れず。結局、息子を抱いて病室の窓から風景を見せていたら、いつの間にかぼくの腕のなかでウトウト。14時すぎだったか。それから、その男の子のおかあさんとしばらく話す。どうやら、その男の子は、アレルギー検査のための半日入院だったようで、アレルゲンは卵と乳製品だった。息子も卵アレルギーだったので、アレルギーの苦労話や、夫婦の話、子育ての話など。15時ごろ、義父と義母が帰宅し、また、その男の子も昼寝し始めたため、ぼくとそのおかあさんとふたりで話し続けた。彼女も、最近、父親を58才という若さで癌で亡くしたらしく、また、彼女がその男の子が妊娠8ヶ月のとき、夫が無職になったとかで、共有できる話題も多く、また話しやすい人でもあったので、ゆっくり静かに話した。あんなふうにゆっくり誰かと(それも、きょうたまたま同室になった何も知らない誰かと)話すのなんて、ほんとうに久しぶりで、良い時間だった。
 16時すぎ、息子、起床。看護師さんが、検温やバイタルチェックに来たのだが、息子は寝起きだったためか、なぜか愚図って機器を体に着けさせず。落ち着くのにしばらくかかった。その後、「おかあさんといっしょ」など、18時前まで息子はEテレに釘付け。ぼくは、『善き書店員』を読んだり、息子といっしょになってテレビを見たり。昼食をほとんど摂らず空腹だったためか、息子は18時前に、夕食の配膳車がやってくる気配を察すると、病室の外に出て配膳車を見に行き、じぶんのところに運ばれてくるのを待っていた。おにぎりと煮物と湯豆腐、そしてトマトの酢の物。副食はほとんどすべて食べ、おにぎりも半分ほど食べた。19時前、妻が仕事から帰ってきて、いっしょに食事。冷蔵庫にあったみかんとバナナも食べた。食事後、「テレビ、見たい」というので、iPadHuluを開き、それをHDMIケーブルで病室のテレビにつなぎ、3人で「妖怪ウォッチ」の第1話を見た。最近、息子がわけのわからない踊りや歌を唄っていると思ったら、それはすべてこの「妖怪ウォッチ」の主題歌や振り付けだったことが判明。これもまた保育所の「悪友」のせいだ。20時前、病室を後に。


【妖怪ウォッチ】ようかい体操第一 - YouTube

 昨夜(ゆうべ)から読み始めた、木村俊介『善き書店員』は、まだ第2章まで(佐藤純子さん/ジュンク堂書店仙台ロフト店・小山貴之さんさん/東京堂書店神田神保町店)しか読んでいないけれど、印象に残ったのは、佐藤さんの、

 現実的な表現が得意ではないので、ぼんやりした夢みたいな話になっちゃうかもしれませんが、「開くための番人」のようになりたいな、といつも思ってるんです。扉の横にいて、「入っちゃだめだよ」と閉ざすのではなく、開く。本とお客さまをつなぐお手伝いです。

という、ことば。ことばづかいがとてもていねいで、独特の語り口をもった人だなと思った。

善き書店員

善き書店員

 帰宅して、Amazonで届いていた三島邦弘『失われた感覚を求めて』を読み始める。先日、同著者の『計画と無計画のあいだ: 「自由が丘のほがらかな出版社」の話 (河出文庫)』を読んだばかりなので、その文体にはすんなり入りこめた。
 『計画と~』が、著者がミシマ社をたった一人で起業してから5年目までの軌跡だったとすれば、本書は、それ以降、2011年から現在まで、とくに、副題として「地方で出版社をするということ」と付いているように、京都・城陽市にオフィスを構えてからのその逡巡と、結局、そこからまた移って京都市内にオフィスを移すまでの顛末が書かれている。帯文は、是枝裕和。とてもおもしろく、というか、その逡巡の書き方がていねいだし、『計画と~』は、ある種の成功譚だけれど、『失われた感覚を求めて』は成功譚だけではなく、相変わらず、著者特有の「Don't think, feel」というブルース・リーのことばに触発される、「感覚」を研ぎ澄ますには? という、いや、「感覚を研ぎ澄ますことが大切だ」という論理も前著同様なのだけれど、それにも前著とは違ったふうに共感(?)しながら読めた。
 ミシマ社が、東京・自由が丘から、京都・城陽市の2拠点態勢になったのは、東日本大震災からの放射能汚染を逃れて、たまたま知り合いがいる空き家があった城陽に移ってきたことから始まる。そして同時に、ミシマ社/三島ともども全国区の知名度をもつに至るのだが、著者は、そのときの心境をこんなふうに述べている。

 ぼく自身、会社の代表としてメディアに「使われる」存在になりつつあった。(中略)
 こうした文脈とはちがう出版社でありたいのに…。そう考えた結果が城陽の移動だったのではないか?
 そのために自ら脱記号*1を目指す。記号がまったく機能しない場所で、出版社をたちあげる。
 その視点から考えると、あまりに風光明媚な場所はかえってよくない。歴史的に有名すぎるのも避けたい。すでに記号化されている可能性が高から。いわんや観光地をや。人が消費的に集まってこない場所の方がだつ記号をしやすいだろう。(中略)
 しかし、そこには、落とし穴があった。
 脱記号を目指した結果、いっそう記号にしがみつかなければいけないという反転した事態が待っていたのだ。(P.83)

 そして、その「落とし穴」で逡巡を重ね、著者は「脱記号の隠し扉は記号のなかに潜んでいた」(P.102)と確信する。つまり、京都市内という記号で、落とし穴からの脱出方法は、城陽からそこへの移転だった。そのときの心境を、著者は「理屈はついたが、勘は鈍っ」っていた、と振り返る。城陽という場所については、

 紛(まご)うことはない。
 そこは、棲(す)まうところである。
 刺激を求めて人が集うところではけっしてない。何かをおこなうために集まるところでもない。すっと、そのことが腹におちてきた。(P.160)

 と判断し、あくまでも、著者は「Don't think, feel」、勘、腹に落とす、つまり感覚、じぶんの感覚を研ぎ澄ませ、耳を澄ますことが、現状打破や原点回帰の方法だと一貫しているところが、ぼくは、この人のすごいところで、潔い点だと思う。そして、その感覚の大事さを、妙な精神論や宗教論に落とし込まず、きちんと論理のなかで考えていこうとする姿勢がいい(これが、「計画と無計画のあいだ」ということか?)。感覚が大切だ、というところを心理学ではなく、小林秀雄『モオツァルト』を引用するのだ。

 小林秀雄は言う。モオツァルトが没して後、「音の世界に言葉が侵入してきた」と。言葉を精緻に用いることで、音楽をコントロールできるようになった。つまりそれを語りえるようになった。ただし言葉によって「分析し計量」できる範囲内において。こうして、モオツァルト以降の音楽家たちは、その範囲をこえる「漠然とした音」をそのまま感得することを忘れた。
 小林がモオツァルトと彼以降に見た断絶。これは、なにも音楽の世界においてのみ起きたことではない。絵画の世界、文学の世界はもちろん、ひとりの人間が生きるということ、そのことまでも語ってやしないか。そして、恐れ多くも、ぼくという一人の人間の数年間をも。(P.248)

 また、この本は、ぼく(1974年生)ら、1970年代半ば生まれの世代論としてもおもしろく読めた。著者(1975年生)は、本書のなかで、ぼくら世代を「あいだ世代」(「バブル世代でもなく、ゆとり世代でもなく、その中間に位置するから」(P.174))と呼び、ロスジェネとも呼ばれる「あいだ世代」のメディア論というものがあると展開する。これから、40代、50代になる身としてのメディア論、そういうものがあるはずだ、と。
 これら、著者がミシマ社でこの数年間に経験したものは、ぼくの「これから」にも、大変示唆を与えてくれている。
 大阪で書店を開くにしても、ぼくはなぜ市内(例えば中崎町などの、最近話題の場所)という記号ではなく、守口市という脱記号の立地で開こうとするのか。守口は、たしかに京都・城陽と比べれば、人も多いし、便利な土地だ。でも、逆に、だから何もない。ただ市内への交通が便利だというだけで、寝て起きるだけの場所。ぼくは、そこに、何か文化の種を植えたいと思うのだ。たまたま移り住んだこの守口という土地だが、息子が生まれたせいで、彼が育つこの場所に、少しでも文化の根を張りたい。そう思って、2年前、サラリーマンを辞めた。その芽や木々を育てるのは、息子たちの世代だと思う。ぼくは、その年代へのこの地の「媒介者」でありたい。
 だが、著者がはまった「落とし穴」は、この本を読んで、ぼくも、十二分にはまる可能性があると思った。著者にとって、城陽がそうであったように、守口が「記号」になってしまうかもしれない。そのことだけは避けたい。収益性ということだけではなく、立地というのは、いろいろな意味で大きな分岐点になる。でも、やはり、ぼくは、守口、守口近辺でやりたい。ぼくは、あまのじゃくなので、とかく著者の言う「記号返し」(「強力な記号に対し、それを封じ込めるために新たな記号を置く)に陥りがちだ。やっていても、キリがない。やはり、はじめるしかないのかもしれない。

失われた感覚を求めて

失われた感覚を求めて

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

*1:「記号」とは著者曰く「言葉の中身はどうだっていい」記号だけでつくられたメディアの指向

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